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そんなにコーヒーは苦いのだろうか。どうしてわざわざ飲むんだろう。まだ俺はコーヒー牛乳以外のコーヒーを飲んだことはなかった。顔をしかめているそいつを眺めていたら
「そういう仕事だから、飲む」
しわがれた声が聞こえ、俺はびっくりしてあたりを見回す。
男か女か分からない、八十は超えていそうな老人の声は明らかにそいつの方からしたが、その姿はもっと若く、背筋はバレリーナのように伸びていた。今も、一度だって俺に顔を向けない。
なんなんだ?
何が起きたか分からず、すいません、と口の中で呟いて一目散に走った。
振り返ったら追いつかれる、となぜだか俺は思い込み、全速力で家まで走り抜いた。玄関をバタンと閉じ、鍵を締めるために初めて後ろを見た。
まったく、それはいつもと変わらないうちの玄関で、こんなにこの扉が頼もしく思えたことはなかった。
「どしたの悟。岡くんと競争でもしてたの?」
トイレから出てきた母さんが息を切らせている俺を見て目を丸くする。
「うん、ちょっと…俺もトイレ行く」
と、慌ててトイレに入った。
母さんが外で「よっぽどトイレが近かったのね~」と言っているのが聞こえた。
俺は決して泣き虫な方ではないが、母さんに会って、安心のあまりこっそりと泣いた。
その晩、通っている小学校が数十秒だけニュースに出た。
プールで溺れ意識不明になっていた高校生が亡くなった、という内容だった。
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