《僕が、あなたを》

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 今日も東寺の仏像たちは美しかった。  薄暗い講堂の中、邪魔にならないよう壁際に立って二十一体の仏像と向き合う。微かに残る色彩から過去の姿を想像するのが好きだった。同じものを何百年も昔の人々が目にし、同じように拝んできたのかと思うと何とも不思議な気分になる。  そうやっていつも通り仏像を拝みながらふと入り口の方を見ると、一人の女性が講堂に入ってくるのが分かった。何の気なしにその女性の姿を見て、「あれ?」と心の中で疑問符が浮かぶ。  別に目に付くほど突飛な格好をしていたわけではない。いたって普通の女の人だ。僕の目に留まったのは、彼女の表情だった。  のんびりと仏像鑑賞を楽しんでいる参拝客が多い中、彼女だけは今にも怒鳴り出しそうな険しい表情で講堂に入ってきたのだ。眉間に皺をよせ、目はつり上がり、薄い唇はきゅっと一文字に結ばれている。  不動明王だ。  咄嗟にそう思った。なかなか妙齢の女性に対して抱く感想ではない。  自分で例えたことながらおかしくなってしまって、慌てて口元を押さえる。ここで笑ったら失礼極まりないだろう。それに、こんなところで突然笑い出すなんて不審者扱いされかねない。  込み上がってくる笑いをこらえながら、その不動明王に似た彼女が気になってちらちらと様子を窺う。どうやらこの場所には不慣れなようで、手にしたパンフレットと目の前の仏像たちを交互に見ながら首を傾げていた。  ここでは彼女のようにさほど仏像に詳しくない人もよく見かける。旅行中だと思われる女性数人が連れだって、「よく分かんないけどすごいねぇ」なんて笑いながら境内を歩いているのを微笑ましい気持ちで見ていることだって多々ある。  しかし、彼女はそうではなかった。連れ合いの姿は無く、どうやら一人でここに来たらしい。
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