それは泡沫の……

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それは泡沫の……

 そんな顔を、しないで欲しい。そんなに幸せそうな笑顔を、見せないで欲しい。 「いつもいつも、ホントにありがとうございます! こんなに呼んでくれるの、佐藤さんだけなんですよ~。私嬉しくって!」  華やぐように、彼女は笑う。茶色がかった瞳はきらきら輝いていて、その眼差しはまっすぐで。 「そ、そうなんだ……時間、遅いけど大丈夫? 疲れてない?」  思わず話題を逸らしてしまった俺に。 「全然へっちゃらですよ! 佐藤さんに会えるから、疲れなんて吹き飛んじゃいました!」  明るく人懐っこい声で、彼女は俺を逃がさない。逃がしてくれない。彼女に見えないように、陰で拳を握り込みながら。無理矢理に、優しく穏やかな微笑みを顔に貼り付けた。こういう時ばかりは、笑顔の作り方を鍛えてくれたあの仕事に感謝してしまう。 「それなら良かった。立ち話もなんだし、入ってよ」 「そうですね、お邪魔しま~す」  俺の招きに応え、彼女は部屋の玄関を上がった。狭いホテルの廊下で二人、ふと気付くと、彼女の顔は目と鼻の先にあって。ふわりと漂う薔薇の華やかさと、その奥から薫る甘い蜜――それは、いつも彼女が付けている香水の薫りだった――が鼻腔をくすぐり、とくんと心臓が脈を打つ。 「えへへ……」  とろけるような彼女の笑顔。伝わる吐息と、髪の毛の感触。どっくん、と鳴った鼓動は、彼女に聞こえてしまったのでは……と不安になるほどに大きかった。  ああ、もう。許して欲しい、勘弁してほしい。いっそ、誰か助けてほしい。  だって、だって。勘違い、しそうになるから。もしかしたら、なんて。思ってしまうから。  君は風俗嬢で、俺はその客。ただただそれだけ、それだけなのに。  そんな笑顔を見ていたら、そんなに優しくしてもらったら。もしかしたら……なんて、思ってしまうから。あるはずのないことを、想ってしまいそうになるから……。
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