それは泡沫の……

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 タルトを一口齧った途端、彼女の瞳はとろんと蕩けた。 「すごい、美味しい……っ!」  テーブルを挟んで向かい合っているお陰で、幸せそうな様子がよく分かった。うっとりとした声色も、ほんのりと染まった頬も、余さず瞳に焼き付けられる。隣り合って座りたい気持ちもあったけど、これはこれで、悪くない。 「喜んでもらえたなら良かったよ。あ、でも、焼きたてだともっと美味しいって聞いたな」  貰えた笑顔にほっとして、俺も自分のタルトを齧った。サクサクとしたタルトと、チーズのまろやかさに加えて爽やかな酸味が口を満たす。下見した通り、大当たりだった。 「へー、今でもこんなに美味しいのになあ……焼き立てはどんな味なんでしょうね?」  何気ない彼女の言葉が引き金を引いた。色濃く、リアルに、鮮明に。頭の中に光景が浮かぶ。  休日に買うなら、ちょっと早めに並ぶ必要があるだろう。駅で待ち合わせて、他愛のない話をしながら数駅地下鉄に乗って。あのタルト屋は少し分かりにくい場所にあるから、俺が案内しないといけない。人混みではぐれないように手を繋いで。離れないように、離さないように、きゅっと手を握って。長蛇の列に並んだら、タルトを楽しみに待ちながらあれこれ話をして。焼き上がりの香りに鼻をくすぐられて、二人一緒に笑い合って。そして、そして……。 「佐藤さん、佐藤さん……?」  聞こえてきた声が、俺を現実に引き戻す。目の前の彼女は、きょとんとした顔でこちらを見つめていた。 「どうしたんですか? なんだかぼーっとしてたような……?」  手の届く距離に、彼女はいるのに。二人っきりで、一緒にいるのに。幸せな時間のはずなのに。すぅっと背筋が冷えていく。 「あ、いや、ごめん。何でもないんだ……」  不思議そうに首を傾げる彼女に、俺はそう答えることしか出来なかった。
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