それは泡沫の……

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「ご馳走様でした! 佐藤さんは色んなお菓子を知ってるんですね。どれも美味しいし、すごいなぁ……」 「どういたしまして。知ってるのは、うん、まぁ……ね」  ぺこりと頭を下げてくれた彼女に、けれど俺は言葉を濁した。洋菓子の店に詳しくなった理由は、あまり思い出したいものじゃなかった。 「あ、確か、前の彼女さん……でしたっけ?」  ……悪意なんて無いのは、勿論分かっているけれど。軽く引きつりそうになった頬を、力業で無理矢理抑え込む。 「不思議というか、納得いかないなぁ。私だったら佐藤さんみたいな素敵な人、絶対捕まえて逃がさないのに」  びっくりするくらいの真顔で、思わず聞き流してしまいそうな自然さで。彼女はさらりと言い放つ。 「ははは。お世辞でも嬉しいよ」 「お世辞じゃないですって、もう!」  やめて、ほしい。そんな風に、頬を膨らませないで欲しい。愛らしいジト目で俺を見ないで欲しい。いっそ、お世辞だって言って欲しい。  だって、だって。このままいたら、俺は本当に。いや、もしかすると……もう既に。  お世辞のはずだと、分かってはいても。俺を喜ばせようとしてくれているだけだと、理解していても。やめて欲しいと願っていても。それでも尚、こみ上げるものは止まってくれなくて。身体は火照っていくばっかりで。渦巻く熱は、ぽろりと口から零れ落ちた。 「あのさ、その……」  躊躇いがちな俺の言葉を、彼女は何も言わずに待った。穏やかな微笑みを浮かべて待っていてくれた。 「隣……座っても、いいかな……?」  目を逸らしながら、こんなことを聞いてしまうんだ。とうの昔に、もう俺は。 「なんでそんなこと聞くんですか? いいですよ、どうぞ?」  一瞬ぽかんとしたものの、彼女は笑顔で返してくれた。ぽん、と自らの隣を叩いてくれた。心臓が高鳴り、全身が熱くなっていくのが分かる。ふわりと、身体が宙に浮いたような気すらした。 「風俗嬢相手に、そんな遠慮なんてしなくていいですって。ね?」  鈍器で頭を殴りつけられた。あるいは、鋭い刃物を胸元に突き立てられた。そんな感覚が全身を襲う。一瞬前は空でも飛べそうだったのに、今や立っていることすら危うくて。 「そっか……隣、失礼するね」  そう絞り出すことしか出来なかった。その声が震えないよう、ただ祈りながら。
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