獅子戸 拳 (ししど けん)

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「おはようございます。」 一週間後。 挨拶をして扉をくぐると、少し目を細めた陣さんと目が合った。 「おはよう、拳。」 「おはようございます、陣さん。」 俺が挨拶を返すと、陣さんはすぐに分厚い資料に視線を戻した。 特殊事例犯罪捜査課の名の通り、俺たちが担当するのは、特殊な犯罪が多い。その中でも、陣さんは本当に様々なことを担当する。全く口を割らない確実な悪人を吐かせたり、どうしても尻尾を出さない悪人のほんの僅かな油断を見逃さなかったり、というような、特殊とは言い難い犯罪や、手首を切り取られたり、目玉を抉られたりした、わかりやすい猟奇的な事件を請け負うなどしている。本当に、最高峰のこの機関の、鑑のような人だ。 だけど、それは、陣さんだけだった。 俺の新しい職場、特殊事例犯罪捜査課は、思ったよりもずっと緩いところだった。 まず、見田村さん。 一言で言うと、彼は天才的ハッカー。彼にかかればどんなに厳重に隠された電子データも、一瞬で明るみに出てしまう。また、潜入捜査をする時の、化粧の腕も、彼の右に出るものはいない。その人の顔の良さは活かしつつも、決して、その本人だとはわからないようにする。そんな不思議な才能があった。 だけど、仕事がない時の彼は、隅の方で丸まっているだけ。人見知りだから、誰かと交流しようともしない。その姿だけを見ていると、気まぐれで気高い猫を思い浮かべてしまう。 もう一人は、兼子。 こいつは、見田村さんとは対照的に、いつも仕事をしている。無駄に高い身長を活かさずに身体を丸めて、パソコンとこんにちはしてる。でも、こいつは、よっぽどのことがない限り、ある一つの事件しか扱わないらしい。 「おはようございます。...信濃川さん。『怪盗』が盗みに入るのは明後日なんですけど。特別許可、おりましたか?」 挨拶もそこそこに陣さんに詰め寄る兼子。 「あぁ、兼子。そのことなんだが、少し手間取っていてな...。」 「信濃川さぁん...。」 「まぁでも、方法はある。」 あからさまに拗ねる兼子に、陣さんはすっと、一枚の書類を出した。 反射的に受け取った兼子は、目を通し、すぐに嫌そうな表情をする。 「また女装ですか?」 「あぁ。」 「...俺より、拳ちゃんの方がいいんじゃないですか?」 兼子が横目で俺を見ながらそんなことを言う。背も低いし...なんて気持ちを隠しもしないこいつの目に、やっぱり苛立ちが募る。あと、拳くんが駄目だから拳ちゃんって呼ぶって、ちょっと安直すぎねーか。めんどくさいから何も言ってないけど。 「まぁ、いずれはそうするが...」 「...えっ!?」 「拳は、そういう潜入の経験はまだ浅いからな。今回は兼子が見本を見せてやれ。拳には、付き人として付いて行ってもらう。...上手く教え込めば、兼子は『怪盗』の仕事に専念できるし、拳は仕事を奪い取れる。」 「...出動の特別許可は、出るんですか?」 「もちろん、これが、上手くいけば、許可しよう。」 「わかりました。...ぐっちゃーん、よろしく。」 自分の言い分が通ると分かると、兼子はさっさと隅の方で丸まっている見田村さんの方に歩いて行った。 けど、俺は何も納得していない。 「じゃあ、兼子が終わったら、拳も化粧してもらえ。」 「...陣さん、聞いてないんですけど。」 「...悪い。これが資料だ。」 申し訳なさそうに頬を掻いた陣さんは、さっき兼子に見せていた資料を俺に渡してくる。 目を通すと、そこには、名前を知らない人はいないのではないかと思われる有名政治家の汚職・セクハラ取締の証拠固めの案がつらつらと書かれていた。 「彼は、裏で美人好きの節操なしで有名だからな。兼子が人肌脱げはイチコロだろう。」 「これ、女装する意味あります?」 「...その方が、事態はいい方に進むからな。...拳も、女装にするか?」 「...いえ、遠慮しておきます。」 「そうか...まぁ、兼子から、学べるだけ学んでこい。」 そう言い捨て、陣さんは手元の分厚い資料に目を戻した。
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