獅子戸 拳 (ししど けん)

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次の日。 午後五時になると同時に、そわそわしていた兼子はさっとパソコンから離れた。 「信濃川さん。俺、今日はこのまま直帰しますね。」 「わかった。」 「じゃあ、お疲れさまです、皆さん。」 兼子は、そう言って帰って行った。やたらと幸せそうな笑顔で、今にも踊り出しそうなほどご機嫌に。 「...あいつ、今日はこれから『怪盗』の出没場所へ潜入するんですよね?」 「そうだ。」 俺の疑問に、陣さんはパソコンの画面から顔を上げることもなく答える。 「潜入捜査なのに、素顔で行くんですか?」 この間の政治家の時には、渋々ながらも、自分からさっさと見田村さんに化粧を依頼していたのに、今回はいつまで経ってもパソコンの前から動かないから、変だと思っていたのだ。 「あぁ。今回は、情報収集でもないし、別に顔を隠す必要もないからな。」 「はぁ...。」 潜入なのに?俺は、違和感を隠せない。 『怪盗』に素顔を見られれば、普通にヤバいんじゃねーの?っていうか 「『怪盗』って、そもそもどんなヤツなんですか?報道とかも、全然されてないですよね?」 大規模な事件であるなら、何かしら報道されるはずなのに。何か、世間には知られたくない裏があるのだろうか。 「...まぁ、実際に『怪盗』が盗みを働いたのは、多くても二、三件だろうからな。そもそも、それが気づかれているかも微妙なところだ。とはいえ、家宅侵入にはなっているんだろうが、それで一々報道はしない。」 「...え?『怪盗』は、侵入はしても、いつも盗みを働くわけじゃないんですか?」 「その通り。『怪盗』は『何か』を求めて、盗みに入るが、それが目的のものでなかったら、何も取らずに立ち去る。」 「...確かに、それで一々報道はしませんね。」 俺はとりあえず、納得した。が、やっぱり、引っかかることはある。 「さっき、陣さんは盗みが気付かれているかも微妙だと言っていましたけど、じゃあ、なんで兼子は知っているんですか?」 俺の素朴な疑問に、陣さんは小さなため息とともに答えた。 「運命、だそうだ。」 「...はい?」 話の流れにそぐわない言葉に、俺は目をハテナにして陣さんを見てしまう。 「自分が『怪盗』に出会って、彼が盗みを働いているとわかったのは運命だから、絶対に自分が彼を掴まえるそうだ。」 その後、陣さんは盛大なため息を隠そうともせずに、こう言った。 「まぁ、兼子が掴まえたいのは、『怪盗』の『心』みたいだけどな。」
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