獅子戸 拳 (ししど けん)

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夕方。というか、もうほぼ、夜。 俺と兼子は、とある有名ホテルの受付にいた。 「ようこそ、お越しくださいました。招待状は、お持ちでしょうか?」 背筋の真っ直ぐ伸びたボーイに問われ、俺は陣さんに持たされた封筒をさっと出す。 封筒の中身を確認したボーイは、柔和な笑顔を浮かべ、俺たちを会場に案内してくれる。 「どうぞ、ごゆっくりお寛ぎ下さいませ。」 俺たちが『招待された』のは、とある医療研究者が主催する交流会だった。ターゲットの政治家は、その研究に、多額の寄付をしているらしい。 今回の『交流会』は、名目はそれぞれの活動分野での『交流』、となっている。しかし、本当はたくさんお金を貢いでくれる政治家らのゴギゲン取りに、至る所から集めた綺麗どころとの『交流』であるらしい。だから、兼子なんかはうってつけだろう。まぁ、陣さんがどうやって招待状を手に入れたのかは、よくわからないけど。 『にしても、兼子。マジで綺麗だな。』 俺の横に立つ兼子は、つまらなさそうな顔で髪をいじっている。だけど、その物憂げな眼差しは、男の視線を釘付けにしている。確かに、兼子は、どの角度から見ても文句なしに綺麗だ。まぁ、元がいいんだから当たり前だ。俺だって、本当は兼子っていう男だって知らなければ、あっさり虜になっていたはずだ。ということで、さっきから、こいつに向けられる熱い視線と、俺に向けられる邪魔者扱いの視線が痛い。 『なに?口説いてんの?』 そのままの表情で声も出さずに兼子は言う。ていうか、気づけば敬語じゃなくなっていた。まぁ、俺もだからいいけど。 今、俺たちの耳には小ぶりなイヤーカフがつけられている。これは、見田村さんが発明した超小型通信機で、これにより、声を出さなくても、少し口を動かすだけで通信相手と会話をすることが可能だ。ちなみに、声を出さない、口もほぼ開けない会話方法は、俺たちはとっくに習得済みだ。 『ちげーよ。事実を言っただけだ。さっきからお前に向けられる視線がやばい。』 『あぁ、そうだね。まぁ、俺にかかればこんなもんだよ。』 兼子はそう言ってから、俺の方に目を向けて、にっこりと笑った。目を向けなくても、こいつに釘付けだった男たちの動揺が手に取るようにわかる。俺だって、少しどきっとした。 『だけど、拳ちゃんもちょっと練習すればすぐにできるよ。普通に整った顔してるんだから。』 『おい、遊んでないで、さっさと仕事をしてくれ。』 『すみません。』 『わかってますよ。』 突然耳元から聞こえた陣さんの叱咤に素直に謝る俺とは対照的に、生意気な小学生みたいな返事をした兼子は、すっと俺から少し距離を取った。 「やぁ、美しいお嬢さん。」 声を掛けてきたのは、今回のターゲットだった。...そうか。さっき、兼子は、俺じゃなくて、このターゲットに微笑んでいたのか。 ターゲットは、狸みたいなお腹を張り出して背筋を伸ばしているから、姿勢はとてもいい。だけど、その目に宿る欲望は隠し切れず、兼子を舐めるように見ている。 「まぁ、お上手ですこと。」 兼子は目を細め、優雅に口元に手を添えてほほえむ。さっきまでの物憂げな顔が嘘のようだ。 「ねぇ、よかったら、一緒に飲みませんか?」 見事な上目遣いで、男を見る兼子。残念ながら兼子の方が若干男より背が高いので、わざとなのが丸わかりだ。 だけど、男は嬉しそうに喉を鳴らす。 「私は構わないが...連れの方は、いいのかい?」 問われた言葉に、兼子は俺の方をつまらなそうに見る。 「いいのよ。」 『じゃあ、拳ちゃん。俺仕事してくるから、適当に楽しんで、適当に帰って。』 冷たい視線とは対照的に、いつもの調子で、兼子の声が耳に響く。 「そうかい。」 男は、ニヤッと笑うと、無遠慮に兼子の腰を抱く。 「じゃあ、二人になれるところに行こうか。」 男が、兼子の耳元で、囁く。見せつけたいのが、ありありと伝わる目線を俺に向けながら。 「...いいわね。」 兼子は、酷く妖艶な顔で微笑んだ。 『拳ちゃん、こういう時はもう少し悔しそうな顔してよ。』 男の顔が兼子の耳から離れたタイミングで、兼子の声が届いた。俺は少しだけ表情を歪めた。 「じゃあ、彼女は貰っていくよ。」 男は、俺を勝ち誇ったように見て、兼子の腰を抱いたまま、二人して会場を後にした。 「あの、よければ一緒に飲みませんか?」 「いえ、私と飲みましょう?」 兼子と男が見えなくなったタイミングで、俺は、ドレスで着飾った女の子たちに囲まれた。俺を見つめる熱い瞳に、喉が鳴る。 『拳ちゃん、これから後の様子は、後で映像で見てもらえるようにするから、今は適当に誘いに乗って飲んどいて。』 タイミングがいいのか悪いのか、兼子からの指示が、耳の奥に響いた。 じゃあ、今は、楽しませてもらおうじゃないか。 「いいですよ。」 俺は、自分が一番カッコ良く見えるように、目の前の彼女たちに微笑みかけた。
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