Op.1-4 Op.70-No.3 (Fin)

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Op.1-4 Op.70-No.3 (Fin)

「店長?」  今日は、お客さんもまばら、というか今のところ朝の来客以降、ゼロ人で、店内は非常に落ち着いている。  お客さんが来ない、ということは必然的に私の仕事も限られてくるわけで。  目についたところ、気がついたところの掃除、片付けも一通り終わってしまって。  何か仕事はないか、とカウンターに立つ店長に声をかけるものの、ぼんやりとしたままで、返事がない。  いつも穏やかな笑顔で、美味しいコーヒーを淹れている店長も、流石にこんな日には気も抜けるのか。  そんなことを思いながら、「店長」ともう一度、声をかけるものの、気がついた様子がない。  店長、目元にクマが出来てる。  それに、なんだか上田先輩のツンツン仕様の髪も、なんだか少しだけシオシオと元気が無い気がする。  そんなことを思いながら、真横に並んで、もう一度、と口を開く。 「店長? 先輩? 上田先輩」 「え、あ、西宮さん? どうかした?」 「いや、それはこっちの台詞ですが。というか、上田先輩、手元! 手元!」 「手元? え? え? あ?!! いったぁ?!!!」 「あああああ、わああああ」  三度目の正直、よりも少し多い呼びかけに、店長、というか上田先輩は応じてはくれたものの。  ぼんやりとしたままだった上田先輩の指先は、戸棚に置いたままで。  こっちを向くと同時に扉をしめた先輩の指先は、見事なまでに間に挟まった。 「冷や、冷やしましょう」 「え、あ、うん」 「痛いイタイ痛い痛いっ」  見てるこっちが痛くなりそうなくらいの挟まれっぷりに、蛇口をひねって水を出せば、上田先輩がほんの少し笑っている。 「上田先輩?」  どうしたんですか? と首を傾げれば、上田先輩は「ああ、ごめんごめん」と笑いながら赤くなった指先を流水につける。 「いや、西宮さんの反応が、恭一と同じだったから、びっくりしちゃっただけ」  ふふ、と笑いながら言う上田先輩の言葉に、「何か複雑な気分です」と返せば上田先輩はまた笑う。 「そういえば……今日、恭一先輩見てないですね」  朝からやけに静かだ、ぐらいにしか思っていなかったけど、そういえば、ピアノの音も、恭一先輩の話し声も聞こえてきていない。  ふと、気になって、上田先輩に声をかければ、先輩は「ああ、うん」と静かに頷く。 「今日は、恭ちゃんは病院の日だからね」 「病院、ですか?」 「うん」 「へぇ……」  恭一先輩、病院と無縁そうなのに、と声に出さずに失礼なことを考えていれば、ふふ、と上田先輩の笑い声が聞こえる。 「西宮さんって、考えが顔に出るタイプだよね」 「あ、よく言われます」  水から指先を抜き、手を拭きながら言う上田先輩に頷きながら答えれば、先輩はまた笑っている。 「あと、何も考えてなさそう、とも言われます」  あはは、と笑いながら言った私に、「そんなこと無いでしょ」と上田先輩の言葉が続く。 「考えてない人なんていないのにね。ただ、その行為が他人から見える時間にしていたか、見えないところだったか。そういう差なのにね」  眉根を下げながら言う上田先輩の表情は、どこか、悲しげで、何故だか辛そうに見えた。それなのに、そんな上田先輩の表情に、なんだか少し背中を押されたような気持ちになった。  上田先輩には、そんなつもりは皆無だろうけど。 「……ありがとうございます」 「うん? どうして?」 「いえ、何となく」 「何となく?」 「はい。なんとなく、です」  不思議そうな表情を浮かべたまま、それでも上田先輩は深追いをすることなく「そっか」とだけ答えてくれた。 「あ、西宮さん」 「はい?」 「牛乳を使い切らなきゃいけないんだけど、西宮さんもカフェオレ飲まない?」 「良いんですか?」 「うん。むしろ手伝ってくれるとすっごい助かる」 「手伝うどころか喜んでいただきます!」  店長の淹れるカフェオレは美味しい。  甘すぎず、苦すぎず。  牛乳とコーヒーの割合も本当にちょうど良くて、恭一先輩もゴクゴクと飲んでいるのを見かける。 「そういえば、店長も恭一先輩もブラックコーヒーも甘いカフェオレもどっちも飲みますよね」 「うん。その時の気分と、一緒に食べるものによって変えてるかな」 「へぇぇ」 「モンブランとかティラミスだったらブラック、プリンならカフェオレ、とか。結構バラバラかもしれないね。強いこだわりっていうのが無いから、邪道って言われるかもしれないけど」 「そんなことないです」  会話をしながらも、上田先輩はカフェオレを2つ作ってくれていて。  ことり、と置かれたマグカップが、ほんのり甘い香りが鼻先をくすぐる。 「はい。西宮さん好みのちょっと甘いやつ」 「わぁ、ありがとうございます」  カウンターに横に並んだまま、マグカップを持ち上げれば、上田先輩もにこりと笑ったあと、カップを口元へと近づける。 「これ飲んだら今日は店じまいしちゃおうか」  カップを持ちながら呟く上田先輩に、「え」と思わず声が漏れる。 「西宮さんが、まだ居たいって言うなら開けとくけど、どうする?」 「帰っちゃってもいいんですか?」 「うん。たまにはいいでしょ」  そう言って上田先輩は笑う。 「じゃあ、私、看板かたづけてきますね」 「飲んでからでいいよ」 「あ、はーい」  ふふ、と静かに笑った上田先輩をちらりと見やる。  本当になんでこの人は恭一先輩と仲が良いのだろう。  賑やかな恭一先輩と、穏やかで落ち着いている上田先輩。  共通点は少なそうなのに。  お客さんの声も、うるさい恭一先輩の声もしないお店の中で、ぼんやりとそんな事を考える。  陽の光が入り込む窓辺に、日向ぼっこをするいつもの影が見えなくて、なんだか不思議なほど静かに感じた。  『え、この前言ってた人?』  『そう! やっぱり言っちゃった!』  『えええぇ! 』  結局あれからそんなに時間をおかずに、カフェの営業は終了し、私もいま帰路についている。  駅前の交差点ので信号で、キャッ、キャッと楽しそうに手をぺちぺちと叩き合いながら歩く女子高生の会話が耳に入る。  恋バナかぁ。  彼女たちの楽しそうな声に、ふと思い出したのは、 「……ショパンの初恋」  ぼそ、と呟いた言葉は、誰に聞かれるでもない。  けれど、なんだか少し寂しくて、  なんだか少しだけ恥ずかしくて。 「……帰ったら、弾いてみようかな」  恭一先輩みたいには、弾けないけど。  家で待つ大きな黒い箱を思い浮かべながら、自転車のペダルをぐい、と踏み込んだ。
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