38人が本棚に入れています
本棚に追加
深夜、キス寸前。
「ねえ、ジュンイチ」
芝居と同じくリョウコの声で呼んだら、純さんのしかめっつらが俺の肩に墜落。
「意地悪だなあ」
つぶやく純さんの声も、微妙にジュンイチだった。唇のかすかな動きに肩をくすぐられて、欲情の針が一瞬振り切れる。
「リョウコとジュンイチはキスすらしねえで終わったなんて、ありえないよねえ」
純さんのTシャツの中に下から手を入れながら言うと、吐息が俺の耳をかすめた。それだけで俺には、笑ったんだと分かる。同時に、役に入りこみ過ぎるこの人の、スイッチにちょっと触れたのが分かる。それはもちろん、わざと。
社長いわく「小手調べ」の東京公演、前半戦二日間が終わった。多少の手直しを加えた芝居を引っさげ、いよいよ明日は大阪入りだ。
「凌ちゃんはそう思うんだ?」
俺の肩に頭を預けたまま、純さんが言う。ひときわ甘く響く、低い声。香水の残り香を追うのに夢中になりかけてた俺に、しなやかな不意打ち。
「こういう、描かれなかった部分もあるかもよ?」
するり、と純さんの細い腕が俺の背中に回る。
「え、純さんはそういう解釈で演じてたの?」
高まりつつあった欲情も一瞬さっと引く。芝居の話となると、さすがの俺でもエッチは二の次だ。
誰が見てもかっこいいジュンイチが、誰が見てもかわいくない幼なじみのリョウコに、ずっと片思い。今回全国ツアーのためにリーダーが書いてきたのは、そんな二人の純愛と呼べるかも知れない恋愛を軸にした、ドタバタコメディだった。
「うん、お互いの思いやりだね」
なんだそれ? どういうことだ?
キスしてこようとする純さんの胸を、俺は半分無意識に押し戻していた。
「思いやり?」
いきなり、後ろからラリアット。そんな気分。ホントびっくりするわ、今このタイミングはないわ。
「でも二人とも自意識過剰なんだよね」
あのホンのどこをどう読んだらそうなるのか、訳が分からない。作・演出のリーダーからも、そんなことは言われてない。
俺達が客を笑わせよう笑わせようとしてる時に、純さんだけが全然違う角度と深度で芝居を見てる。突拍子ないんだけど、その質が違う。地元にいた時から、こうだったっけ? 俺はちょっとだけ不安になる。
最初のコメントを投稿しよう!