目が覚めたら…

4/5
前へ
/19ページ
次へ
 女に向かってそう言うと、老人は最後に美嘉に向かって微笑み「お大事に」と言って、踵を返してひとり先に部屋を出ていった。その後ろ姿を呆然と眺める美嘉。 「そういうことだから」  美嘉は訊きたいことが山ほどあった。確かめなければならないことだらけでもあった。だが、この女にそれを訊くのは躊躇われた。不吉な予感が形を持ちそうだったからである。 「もし私の何か用があったら、そのボタンを押してくださいね」  ベッドに括りつけられたナースコール用と思われるボタンを指す。何も答えない美嘉を眺めながら、女が続きを言った。 「じゃあ、とりあえず安静にしていてくださいね」  女が部屋を出て行った。『安静に』って、自分には安静にしなければならない何かが起きたのだろうか。特に身体に痛みを感じる部分もないし、傷も見当たらない。だが、何かを考えようとしても相変わらず何も浮かばない。不安の塊が澱のように沈んでいる。もう一度窓に近づいてみる。もうあの二人はいなかった。日に照らされたおもての風景は制止しているように見えた。  結局美嘉は女に言われたようにベッドに横になる。やがて美嘉をゼリーのような分厚い膜が覆って、再び眠りについた。   次に目を覚ました時、辺りには夕闇が迫っていた。布団を跳ねのけて立ち上がると、急に霧が晴れるように、記憶が蘇ってきた。  恋人の辰巳翔と二人で旅に出るために家の前に立っている姿が浮かんできた。二人は付き合い始めてすでに5年経っていて、いわば倦怠期を迎えていた。それを打破するために旅行でも出かけようかということになったのである。東京を発ったのがいつだったのかは思い出せない。確か、今回の旅行計画は翔が立てた。観光地ではなく、秘境と呼ばれるような人里離れたところへ行こうと言ったのも翔のほうだったと思う。だが、思い出せたのはそこまでだった。再び記憶はいとも簡単にプツンと切れてしまった。  今日はいったい何日だろうか。部屋にカレンダーがあれば思い出せるのだろうが、もちろんない。自分の荷物もすべて消え失せていたため、他に確かめようがないのだ。  今、翔はどこで何をしているのだろうか。そもそも無事なのかもわからない。だが、美嘉は翔がきっと助けに来てくれると信じた。そう思うと、いくらか心が軽くなった。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加