救済という使命

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救済という使命

「どうだい、大学生活の方は」  週の記事制作のノルマをどうにか終え、自宅のリビングでくつろいでいた涼介に黒川(くろかわ)(みつる)が話しかけて来た。 「もうだいぶ慣れてきたよ」 「そうか、それは良かった」  黒川は臨床心理士として働いている、三十代半ばの男性だ。母親の沙苗(さなえ)が数年前から持病として躁うつ病を抱え始めたため、黒川が専属の担当医師として頻繁に宮田家を訪れていた。顔を合わせる機会が多いため、自然な流れで涼介は黒川とため口で言葉を交わすような親しい間柄となっていた。 「母さんの方の様子はどうなの?」 「うん、ここ最近は落ち着いてるから大丈夫だよ」  沙苗は基本的には体調等に問題はないのだが、突発的に症状が悪化することがあるという。そのため専門の知識を持った人間がなるべく側にいた方が良いとの判断で、黒川がその担当となっていた。 「そっか。いつもありがとうね黒川さん」 「とんでもない、これが僕の仕事だから。礼には及ばないよ」 「黒川さんが傍にいてくれて母さんも心強いと思うし」 「そうだと良いんだけど」  黒川は手元のコーヒーカップを口元へ運ぶ。 「そう言えば涼介、最近帰り遅いじゃないか。何か忙しいのかい」 「ああ、サークルの方がちょっとね」 「何やってるんだっけ、サークルは」 「メディア研究会っていうサークルでね、俺はウェブサイトの記事書いたりしてるんだ。来月にかなり重たい合宿控えてるってのもあって、立て込んでるんだ」 「サイトの記事か、それは大変そうだね。毎回毎回新しいネタを考えないといけないんだろ?」 「そうなんだよ。ユーザーを飽きさせないようにしなきゃいけないから、これが大変でさ。まあ、その分やりがいもあって楽しいんだけどね」 「そうか。大学生活で、やりがいのあるものを見つけられたのは素晴らしいね。何となくぼんやり過ごしてしまう子も多いだろうから」 「だね、そこは恵まれてるな。でもそろそろネタも尽きて来てるから、もし何か面白そうな話があったら教えてね、黒川さん」  涼介は黒川ににやりといたずらな笑みを向けた。 「はは、さすが抜け目がないな。なかなかそんな話はなさそうだけど、もし何か聞いたら教えるよ」 「サンキュー。でもやっぱ、自力で何とか探していかないとなあ」  涼介は再び視線を机の上のパソコンの画面に戻した。何か記事に使えそうなとがったネタはないだろうかとネットニュースを無鉄砲に当たってみるが、そう簡単に格好のネタは見つかりそうもなかった。 「うーん、どうしようか……あ、そう言えば」  涼介はつい先日の瑞奈の言葉を思い出した。 『そう言えば、メールで記事ネタ提供の応募が結構来てたよ』  そうだ、応募が多く来ていたのだ。暗闇の中で手探り状態だった涼介に一筋の光明が差した。  涼介は早速サークルの共通メールアドレスにログインしてみた。すると瑞奈の言う通り、受信フォルダをざっと見渡しただけでもネタ提供の応募メールが数十件は届いているようだった。 「これは助かるな」  思わず口元から笑みが零れる。応募メールのタイトルにつらつらと目を通していく。 「ん、これは……」  とある一通のメールが涼介の目を引きつけた。 『記事ネタ提供:自殺志願者救済集団に関して』  他とは一線を画す、不気味ささえ感じさせる異様な雰囲気を感じ取り、涼介はそのメールを開封してみた。 『はじめまして、都内に住む野屋敷と申す者です。記事ネタ募集のページを見てメール差し上げました。よろしくどうぞ。早速ですが、ネタの紹介を。あまり知られてはいませんが、自殺志願者の救済を掲げている集団があります。それが神から与えられた自分たちの使命だと謳っているようです。何だか、きな臭い集団です。もしご興味があれば、より詳しい話をお伝えしますのでご連絡ください』  メールの本文に涼介の目は釘付けになった。自分の中でむくむくと好奇心の芽が育ち頭をもたげていくのが分かった。  これは、見逃せない。直感が涼介にそう囁いていた。居ても立っても居られず、涼介はすぐにその野屋敷という人物に宛てた返信メールを打ち始めた。 「しかしまあ、じめじめした天気が続きますわね。ああ、嫌だ嫌だ」  涼介はカフェで野屋敷(のやしき)(あかね)と対面していた。野屋敷は、不自然なほどに華美な服装に身を包みながらも、肌の荒れやくすみを隠しきれていない中年の女性だった。野屋敷を一見して、涼介は脊髄反射のように抑えがたい拒否反応を感じていた。それは、あまり人を外見等の表面的なもので判断しないように意識している涼介にとっては珍しいことであった。 「はあ、喉が渇いちゃう」  野屋敷がズルズルと音を立ててコーヒーをすする。カップを見つめる目はどこか無駄に強い光を帯び、充血した赤黒い筋がその目の表面を薄く覆っていた。  シンプルに言って、目の前の女性は不気味で薄気味悪かった。しかし、その野屋敷が語る内容には耳を傾けざるを得なかった。野屋敷は挨拶もそこそこに「聞いてくださいよお」と最近身の回りで起きたという出来事をぺちゃくちゃと話し始め、やがて『自殺サイト』なるものに言及していた。 「……で、どういうサイト何ですか? その、自殺志願者が集まるっていうサイトは」  痺れを切らした涼介は、半ば強引に自殺サイトに話の焦点を絞った。 「ああ、そうそう途中でしたわね。あのね、あなたたちみたいな健康な若者はご存知ないだろうけども、世の中にはそれはそれは苦しくて辛い毎日を送ってる人たちがいますのよ。それはもう、今日この日を生きるのも億劫だなんて人がたくさん。ね、想像つかないでしょう?」 「うーん……」  涼介は返しに困った。 「そんな人たちは何を考えるかと言いますと、まあやっぱり、もう死んでしまった方がいいやってことなんですよね。生きるよりも死んだ方が良いと。理由はもちろん様々なんですけどね。でも、死を願う彼ら彼女らもとある問題にぶち当たっちゃうんですよお。何だか分かります?」 「何ですか……?」 「簡単じゃないですかあ。死ぬ方法が分からないんですよ。都合の悪いことに、人間の身体って案外丈夫に出来てましてねえ、死にたいと思ってもそう易々とはいかないんですよ。困った困ったと。で、その人たちはどうするか。当然、ネットで検索してみますよねえ、誰にでも出来る死に方を。そうすると、いくつか出てくるんですよ」  野屋敷は目を見開いて不気味にほほ笑んだ。 「世の中の隠れた自殺志願者たちが集まる、自殺サイトがね。品の悪い掲示板サイトがあるでしょう、あんな感じで掲示板が用意されていて日夜自殺を目論む人たちの意見が交換されてるんですよ。それこそ、どうするのが楽に死にやすいとかそういう具体的な意見までね」  聞いていて、涼介は気分が悪くなってきた。自分たちの日常とは余りにかけ離れた世界の話だった。 「実は私、よくそういうサイトを覗きに行ってるんですよ」 「えっ……」 「んふふ。もちろん私自身は自殺したいなんてこれっぽっちも思ってないので安心してくださいね。あくまで趣味の話よ、趣味の」  涼介は言葉を失っていた。目の前の野屋敷に、不気味さを越え、背筋を冷たいものが伝うおぞましさすら覚えていた。今すぐここから逃げ出したい気持ちに襲われたが、編集者としての責任感がどうにかその気持ちを上回った。 「で、その自殺サイトがどう記事のネタに繋がりそうなんですか?」 野屋敷の話に疑問符は尽きなかったが、深入りすることはせず要点のみを聞き出すことに徹した。 「んふ、せっかちですね、宮田さん。ちょうどその話をしようとしてたところですよ。実は少し前に、いつも通り私が面白おかしくその自殺掲示板を眺めてた時にですよ、一人のもの珍しい投稿者が現れたんですよ。というのもね、まず投稿者名が『救済人マルセロ』というちょっと意味の分からない名前だったんですよね」 「救済人……マルセロ?」 「ね、訳が分からないでしょう? その救済人とやらが、何て言っていたと思いますか? 私たちは天より与えられし使命に基づき、死を願う人々に希望の手を差し伸べる集団である、とか何とか偉そうなこと言っちゃってましてね。私おかしくて思わず笑ってしまいましたよ」  そう言って野屋敷は手の甲で口元を隠しながらケタケタと笑い声を上げた。 「救いを求める者はこちらを訪れられたし、って言葉と一緒にサイトのURLまでついてましてね。興味本位で飛んではみましたけど、そちらのサイトの方も何だか胡散臭くてねえ。まあ、面白い集団がいるもんだな、くらいでその時は終わっていたんです。そんな折に、ちょうどあなたたちのウェブサイトで面白いネタがないかと募集があったものだから、丁度良いじゃないと思いましてね。それで連絡差し上げた次第です」 「確かに、それは興味深い集団ですね」  野屋敷の言う、自殺志願者の救済を謳う集団に涼介は強い関心を持つに至っていた。 「ぜひ詳しく調べてみたいです。そのサイトは、今でも覚えていますか?」 「ええ、もちろん。ちょっとお待ちくださいね」  そう言って野屋敷はしばらくスマホを操作した後、こちらに画面を見せて来た。 「このサイトです。何か匂いますでしょう」  涼介は画面を恐る恐る覗き込み、自分のスマホでも検索をしてそのサイトを開いてみた。サイトのトップには『救済の園』という文字が大げさな装飾とともに並んでいた。 「ここか……ありがとうございます。後でじっくり見てみます」 「お気に召したようで嬉しいです」 「本当に助かりました」  それから最低限の会話を交わした後、涼介はネタ提供の謝礼を払ってその場をそそくさと後にした。脂汗の滲むような時間だったが、とっておきのネタを掴めたような気がしていた。 「なあ、このサイト見てくれよ」  涼介は情報センターで隣の席に座る瑞奈にそう話しかけた。 「うん? なーに?」  瑞奈がデスクトップパソコンの画面を覗き込む。 「救済の、園?」  要領を得ないといった様子で瑞奈は目をしばたかせる。 「なにこれ」 「ネタの応募のメールがたくさん来てるって話あったじゃん。で、応募のメールをパラパラと見てたら、面白そうな話があったんだよ」 「ふうん。話聞きに行ったんだ?」 「そうそう。その話ってのがさ、自殺予備軍の人たちが集まるサイトがあるってとこから始まったんだけどさ」 「え、何それ怖い……」 「話も怖いけど、その話の提供者も怖かったんだよ。何かもう得体の知れないって感じでさ。だって、趣味でその自殺サイト見てるって言うんだぜ」 「うわあ……関わっちゃダメな人だねそれ」 「それな。まあ一旦それは置いといて話の続きだけど、その自殺サイトに救済人マルセロって投稿者が現れたんだって」 「救済人……マルセロ?」  瑞奈は目を丸くして今にも吹き出しそうな表情を見せた。無理もない、直接話を聞いた涼介ですら未だにその滑稽さに失笑を禁じ得ない。 「ほんと、ふざけてるよな。でさ、その救済人って奴が言うには、自分たちは死を願う人たちに希望の手を伸べるだとかで、サイトのリンクも一緒に貼ってあったわけ。そのサイトがこれね」 「それで、救済の園ってわけか……」 「そういうこと。俺もまだ中はちゃんと見れてないんだけど」  涼介は瑞奈と一緒に『救済の園』のサイト内をスクロールして確認していった。 『私たちは人間の果てのない可能性を信じています。どんな人間にも、生きるべき理由、天命が備わっているのです。失われて良い命など一つもない』 『もしあなたが自らの人生に絶望し、生きる意味を見出せないのであれば、何も恥じらうことなく私たちに頼ってください。それはたった一度、足を踏み出す勇気だけで良いのです。さあ、今すぐ新しい人生に向けて歩き出しましょう。私たちは協力を惜しみません』  そこには、ともすれば歯の浮いてしまいそうなポジティブな言葉たちが書き連ねられていた。 「手を差し伸べるって、実際何してくれるんだろうな。ほんとかよって感じだけど。何か宗教っぽいね」 「うん、確かにね……」  瑞奈はそのサイトがもの珍しかったのだろうか、目を凝らしてスクリーンの中を見つめている。 「こっちは……何だろ?」  瑞奈が画面上部に常に浮遊して表示されているボタンを指差した。そのボタンの上には『あなたが救済人に』という文字が記載されている。 「ええっと……」  涼介はそのボタンをクリックした。遷移したページでサイトのトーンが一変した。黒を背景に白い文字が映えている。それまでのページよりもより切実さを増しているように思えた。 「あなたの周りにもし生きることに悩んでいるような人がいたら教えてください、だって」  そのページでは先ほどとは変わって、周囲に自殺を考えているような人がいれば、その人を助けるために協力して欲しいという内容が掲載されていた。その人の氏名やSNSアカウント等、情報は何でも良いから伝えて欲しいという。 「ふーん……もし周りの勘違いだったら本人は良い迷惑だな」  涼介がページをスクロールしながら言う。 「しかし何から何まで怪しいな。こいつら一体何がしたいんだろ。な、瑞奈」 「えっ、あ……そうだね、謎だね……」  スクリーンをじっと見つめていた瑞奈がふと我に返ったように言う。 「もしかしてちょっと気になってんの?」  涼介はからかうように言った。 「いや、まっさかあ。こんなことやってる人たちもいるんだなーって考えてただけだよ」 「世の中、色んな人がいるもんだな」  涼介は再び目を凝らしてサイト内に並ぶ文字を見つめた。 瑞奈を冷やかしはしたものの、涼介自身この動機不明の集団たちに大いに好奇心を搔き立てられていた。
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