本部への潜入

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本部への潜入

「ええっと、降りるのは次の駅か」  涼介は人気の少ない電車内でスマホの画面から顔を上げて言った。目的の駅は自宅から少し距離があったが、平日の昼間なので電車内は空いており移動は煩わしいものではなかった。  目的地は、自殺志願者救済を謳う団体『エリクサー』の本部だ。涼介は『救済の園』のサイトから、失恋をきっかけに自殺を考え始めた男を装ってエリクサーにメールを送っていた。返信はすぐにあった。今は精神が不安定な状況なので自殺などという早まった手段は決して考えないように、もし一人で考えるのが辛ければカウンセリングの機会を設けることも可能なので気軽に申し出て欲しい、という旨のメールだった。涼介はすぐにカウンセリングを申し込んだ。カウンセリングの場所は自宅に来てもらうことも、本部を訪れることも可能ということで、より団体の詳細を調査するために涼介は迷わず本部でのカウンセリングを希望した。  電車が緩やかにスピードを緩め、気の抜けた音を出しながら目的地の駅に到着した。涼介はリュックを背負い電車を降りると、人気の少ない駅の改札を抜けて駅の構内を歩いた。スマホの画面に表示されるマップを確認しながら南口から市街地に出て、舗装された道をエリクサーの本部目指して歩く。本部は駅から十分ほどとそれ程離れてはおらず、見知らぬ道を手元のマップ頼みに進んでいくとすぐに目当てのビルが目に入って来た。 「これか……」  見上げたビルは想像以上に綺麗で最新式のものだった。得体の知れない団体の入る建物なので、もっと小汚いものをイメージしていたがその想像は簡単に裏切られた。 「意外と金持ってるのか?」  涼介は独り言のように呟きながらビルのエントランスに入った。自殺を考えるほど悩んでいるという前提だったため、ビルの中に入るとすぐに涼介はなるべく思い詰めた神妙な面持ちを浮かべることに努めた。  エリクサー本部が入居している五階にエレベーターで上がると、『エリクサー』と記載されたプレートが掲げられているだけの簡素な受付スペースが目に入った。涼介は受付スペースの電話を取り、案内通りにボタンを押して電話をかけた。三コール目で「はい、エリクサー本部です」という応答があった。 「あの、すみません、今日十三時からカウンセリングの予約をさせてもらっていた、宮田と申します」  涼介はなるべく弱々しい声で自らの素性を伝えた。 「ああ、宮田さんですね。承っております。お迎えに上がりますのでその場でお待ちください」 「はい、分かりました」  電話が切れ、涼介は受話器を耳から離し元の置き場に戻した。改めて受付スペースを眺めてみるが、とことんまで簡素化された無味無臭の作りで派手なサイトとの雰囲気の違いが少し不気味に思えた。入り口の扉も白塗りでガラスなどはなく、中の様子も伺い知ることは出来ない。  一分ほどその場で立ちすくんで待った後に、ガチャリと入り口の扉が開いた。 「お待たせしました、宮田さんですね」  中から出て来たのは、白衣に身を包んだ背の高い男だった。年は三十台か四十台前半ほどだろうか。面長の顔に洒落っ気のないシンプルな眼鏡が乗っている。 「……はい」  涼介は今まで以上に表情や声に気を配りながら返事をした。伏し目がちに男を見て、なるべく精神的に衰弱した様子に見えるよう振舞う。 「ようこそいらっしゃいました。私はエリクサーにて主任カウンセラーを務めている金谷(かなや)と申します。さあ、中へどうぞ」  金谷に促されるままに、涼介はエリクサー本部の中へ足を踏み入れた。本部の中も、受付スペースと同じく真っ白な内装が中心で情報が極力排除されているようだった。そのことを尋ねてみたくなったが、涼介はぐっとその気持ちを押し殺して沈黙を守った。 「こちらでやりましょう」  金谷が少人数用のミーティングルームのような部屋の前で立ち止まり、扉を押し開けた。涼介は金谷の後ろについてその部屋に入り、金谷のエスコートに従い奥の真ん中の席に腰掛けた。 「これをどうぞ」  金谷は部屋の中に設置されていた縦長の冷蔵庫を開けると、中から水を取り出して涼介に手渡した。 「うちが作っている水です。『理性の水』って言うんですけどね、山の湧き水で作られているから瑞々しくて美味しいですよ。これを飲めば頭の中が晴れやかになり、思考がすっきりしてくると言われています」 「そうなんですね……ありがとうございます」  理性の水などと言ういかがわしい名称が薄気味悪かったが、涼介は仕方なくその水を受け取り、キャップを外して一口飲んだ。 「どうです、よく冷えているでしょう?」 「はい……美味しいです。どうも」  水の味は正直分からなかったが、涼介は一応のお世辞を述べた。 「さて、宮田涼介さん。この度はエリクサーにメールをお寄せいただきありがとうございます」  金谷はにこやかな表情を崩さないまま本題に入った。 「メールでお教えいただいたお悩み、とくと読ませていただきました。今日はより詳しいお話もお聞かせいただき、宮田さんのお悩みについて一緒に考えていければと思っております」 「すみません、ありがとうございます」 「いえいえ、とんでもございません。それが私たちの使命ですから」 「あの、サイトでも見たんですが、使命とか天命とかっていったい……」 「ははは、当然の反応だ。なぜ私たちがこのような活動を行っているか説明する必要がありますよね。まず、ことの興りから始めましょうか。このエリクサーは私たちの長、救済代表人である手塚(てづか)(あらた)の崇高なる理念のもとに設立されました。手塚は、元々はどこにでもいる一介のサラリーマンでした。大手総合商社で営業担当を務めており、国の内外を問わず忙しく飛び回る日々を送っていました。二十台の内に結婚した奥さんと二人の可愛い娘に囲まれてはいましたが、仕事に忙殺される日々の手塚は家庭に目を向ける余裕がほとんどありませんでした。しかし手塚はそのことに全く後ろめたさや罪悪感は持っていなかったと言います。そこにあったのは、自らの心身をすり減らすように仕事に捧げ、家庭を支えているんだという自負。家族も、そんな大黒柱の自分に感謝してくれているはずだという自認しており、実際にそれは概ね間違った認識ではなかったのでしょう。しかし、手塚の目が見逃していた家族の僅かな心の機微が、彼らのその後の人生を大きく変えることとなったのでした」  金谷はそこで一旦間を置き、手元の『理性の水』に手を伸ばしてごくごくとこれ見よがしに喉を鳴らした。涼介は金谷が話す手塚新なる人物の話にいとも簡単に引き込まれていた。続きを聞きたくてその給水の間さえもどかしく思った。 「結論からお伝えしましょう。手塚の長女、弥生(やよい)が通っていた中学校でのいじめを苦に自殺してしまったのです」  金谷の言葉に涼介は息をのんだ。 「きっかけはとある男子生徒を巡る恋愛関係のこじれだったとのことですが、弥生は女子グループの中でいじめの対象となり苦しんでいたのです。手塚の妻である美和子は、弥生の苦しみに気付いていながらも、日々仕事に忙殺されている手塚に相談することは出来ず、個人で弥生を支えることに徹していました。今になって思えばこの時手塚も弥生の問題に向き合い、学校を移る等の抜本的な対策が出来ていれば家族の命運は変わっていたのでしょう。しかし、結末は最悪のものとなってしまったのです。弥生が死んでから、手塚家は底の知れない悲しみに包まれ、坂道を転がり落ちるように崩壊の一途を辿りました」 「崩壊……」  涼介は無意識に言葉を漏らしていた。 「あなたが仕事ばかりして家庭を省みないからこうなったのだと、美和子はヒステリーさながらの状態になって手塚を責め、二人の関係は修復不能なまでに悪化しました。そして美和子は次女を連れて家を出てしまい、かつての幸せな家庭はバラバラに分解されてしまったのです。手塚は死すら希望に思えるほどの絶望の底に沈みました。実際に、何度も死ぬことを決意し、具体的な自殺法も調べたりしていたとのことです。しかしある日、手塚は思いもよらない夢を見ました。その夢が手塚の未来を変えました」  金谷の目が心なしか少し潤んだような気がした。何だか見てはいけないものを見てしまったような気がして、涼介はそのことから意識を無理やり切り離した。 「手塚が見た夢には、自殺した弥生が現れたのです。弥生は儚げに手塚に笑いかけながら、実の父に向かって希望を持ってこれからも生きて欲しいと伝えました。お父さんにはこれから果たしていくべき使命がある、とも。夢はほんの僅かな時間で終わってしまいましたが、目覚めた手塚に決定的な影響を与えました。自分の使命、それはもう二度と弥生のような悲しい人生の終わり方を迎えてしまう人を出さないことだと確信したのです。そして、夢の中に現れた弥生は神が仮の姿として選んだものであり、自殺者を増やさないということは自分の天命だと悟ったのです。それから手塚は個人的に自殺志願者の救済活動に乗り出し、理念に共感する人間が増え活動の規模の拡大に伴いこのエリクサーを設立するに至ったのです」 「そう、だったんですね……」 「だから、私たちは今苦しんでいるあなたのことも決して見捨てません。必ずや、生きる希望を取り戻させてみせますよ。さあ宮田さん、胸の中に抱え込んでいるものを洗いざらい喋ってみてください。私たちはあなたの全てを受け止めます」
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