過去の記憶

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過去の記憶

 涼介は大学の西門近くにある第三図書館の自習スペースで磯田と向かい合って座っていた。お互いの手元には館内で借りて来た行動経済学の参考文献が並び、二人とも難しい顔をしながらノートパソコンを睨みキーボードを叩いていた。課題のレポートの提出が明後日までに迫っている。浅い知識を何とかこねくり回しながらワードの空白を活字で埋めていく。必修の講義の単位なので必死だった。  涼介は先々週末の飲み会での失踪騒動を未だに引きずっていた。いくらお酒に酔っていたとは言え、身に覚えのない場所で意識を失って倒れているなど前例がなかった。薄っすらとではあるが、家の自分の部屋まで辿り着いたような記憶があったため、なおさらその現象は不可解だった。 しかし、真夜中の歩道橋の階段で倒れ、周りの人たちに大いなる心配と迷惑をかけたことは紛れもない事実だ。自分が記憶のない中でそんな行動を起こしてしまう人種であると認めざるを得ないのは、少なからず恥ずかしくショックなことであった。さすがの涼介も心を入れ替えて、しばらくは羽目を外すことは控えて学業と記事制作に粛々と取り組むことにしていた。 「よし、五千字までは到達。あと半分だ」 「お、ペース早いじゃん。やるねえ」 「この領域の話、かなり興味深いからな。好きなテーマだと書きやすい」 「さっすが、メディアの編集者は違うね」  からかい気味に言った後、磯田が目の前のディスプレイから目を離してこちらの顔を覗き込んで来た。 「てか、それよりさ。この前教えてやった死神の裏垢の記事の執筆は進んでるのか?」 「え、あー、あのオカルト話か」 「だからオカルトじゃねーっての。せっかく教えてやった渾身のネタなのに、ほったらかすなんて勿体ない。よそにすっぱ抜かれてからじゃ遅いぞ」 「うーん、でもやっぱなあ、胡散臭いっていうか」  涼介はレポートを打つ手を止めずに煮え切らない返事をした。 「ねえ、二人で何の話してるの?」  涼介の後方から聞き慣れた声がした。振り向くとそこには瑞奈が立っていた。 「おう、瑞奈」  向かい側の磯田がにこやかに瑞奈に手を上げた。 「磯田くん、やっほー」  涼介は磯田とサシで飲むこともあったが、その飲みに瑞奈が付いてきたことがあり、二人は既に顔見知りの仲であった。 「講義の話?」 「まあ、それもあるけど」 「聞いてくれよ瑞奈、涼介がせっかく俺が教えてやったとっておきのネタに見向きもしないんだよ」 「え、どうしたの涼介? いつもネタ欲しいって言い回ってるのに、もったいない」 「ちょっと待てって。お前もこいつの話を聞いたら俺がまともに取り合わないのも分かるから」 「どんな話?」  要領を得ない瑞奈はきょとんとした顔をしている。 「ツイッターでフォローされたら死ぬっていう、死神の裏垢ってのがあるんだと。さすがにあり得ないよな」 「えっ」  一転して、瑞奈は神妙な面持ちを見せた。 「私も、その話聞いたことある」 「えっ、うそ」  驚いた声を上げるのは今度は涼介の番だった。 「ていうか、昔の友達が実際にその経験をしてるかも知れない」 「……どういうこと?」 「な、ほんとだって言っただろ。詳しく教えてくれよ、瑞奈」  磯田も身を乗り出して話に食いついている。 「高校の時のクラスメイトの男の子がね、事故で死んじゃったことがあってね……突然のことだったからびっくりしたし、もちろん悲しかったんだけど……お葬式は身内だけでするってことで、お悔やみとかも行けなかった。だからあっという間にその出来事が過ぎ去って行きかけたんだけど、特にその男の子と仲が良かった女子二人から、怖い話を聞いたんだ」 「怖い、話……」 「実は男の子はツイッターで裏アカウントを持ってたらしいんだけど、亡くなる数週間前から何だか様子がおかしくなっていったんだって。それまでなかったようなネガティブな言葉や攻撃的な言葉が増えたりして。それで、極めつけは亡くなる前、最後に呟かれた言葉だったらしいの。それが、僕は死神に呪われた、って言葉」  涼介は背筋を冷たいものが走るのを感じた。 「私も、これくらいしか知らないんだけど。でも、どう考えても磯田くんの言う死神の裏垢の噂と関連してそうだな、と思って」  唾を飲み込んで、涼介は思い切って打診してみた。 「その友達に、直接話を聞くこと出来たりする?」 「うん、高校卒業してからまともに連絡取れてなかったけど、ちょっと聞いてみるね」 「頼むよ」  全く蚊帳の外に追いやっていたくだらない噂話が、俄かに輪郭を帯び始めたように思えた。 「初めまして、尾上美紀です」  瑞奈が呼んでくれた高校の同級生が、控えめな笑みではにかみながら挨拶をしてくれた。涼介も「どうも、宮田涼介です」と自己紹介した。  三人は美紀の家から近い駅の前のファミレスで集合していた。それほど大きな街でもないため、店内は空いており特に周りを気にせずに話せそうだった。 「この度はわざわざすみません」  各々がドリンクバーで飲み物を入れて席に着いた後、涼介がまず口を開いた。 「瑞奈から話を軽く聞かせてもらってて。その……交通事故で亡くなってしまったっていう高校の同級生についての話をもっと詳しく聞かせてもらいたいなと」 「はい、私が知っている範囲でなら、何でもお答えします」  美紀は事前に心積もりをして来てくれていたのか、スムーズにことの概要を話し始めた。交通事故で死に追いやられた少年の名前は菊池公太。瑞奈と美紀の高校二年時のクラスメイトだと言う。 「公太くんは……本当に、死神に呪われたって呟いてたんですか?」 「はい、そうなんです。私も目を疑いました……公太くん、気でもおかしくなったのかなって心配になって。メールでもしてみようかなって思ってたさなかに、交通事故にあって死んじゃったって知らせが一方的にあって……」 「あっという間だったんですね……」  美紀は険しい顔でこくりと頷いてみせた。進んで思い出したくはないに違いない話をさせていることに涼介の心は痛んだが、話を隅々まで聞き尽くさねばならないという使命感のような感情が涼介にとどまることを許さなかった。 「じゃあ、当時からこれは死神の裏垢の仕業なんじゃないかと?」 「いえ、その時はそんな都市伝説は全く知らなかったですし……ごく親しい友達の間だけで話したくらいです。それ以上踏み込もうにも、余りに突拍子もない話でしたし、公太くんのご家族にも伝えずにいました。ただただ、得体の知れない気味の悪い話だなって印象だけが残って」 「なるほど。確かにそうなりますよね」 「ええ。それからは正直、その話も記憶の奥底に沈んじゃってて、ほとんど思い出すこともなかったんです。でも、その公太くんの死から一年以上が経ったある日に、偶然ネットで知ってびっくりしたんです。死神の裏垢の噂に」  美紀の言葉に自然と力がこもった。それは当時の驚きを鮮明に浮かび上がらせるものだった。 「もしかして、公太くんの最後の呟きって、死神の裏垢が関係してるんじゃないかって思って。居ても立っても居られなくって、仲の良い高校の友達にもこの話をしたんですけど、当然相手にはしてもらえませんでした」 「私も、当時美紀にこの話をされた一人ってわけ。その時は何言ってんだって感じでまともに聞いてなかったんだけどね。今回、涼介の口から死神の裏垢って言葉が出て、久しぶりにその話を思い出したんだ。ほんと、びっくりだよね」 「そうだな。まさか瑞奈が過去にその言葉を聞いたことがあったなんて想像もしなかったもん。で、美紀さんはその後どうしたんですか? 周りの誰も信じてくれなくて、諦めちゃったり?」 「いや、それでも私はなぜかその噂のことを忘れられなくって。それで、実際に公太くんをフォローしてるアカウントの中に死神の裏垢らしきものがないかしらみ潰しに調べて行ったんです。ちょっと引かれるかもしれないですが、執着してしまったました。そしたら、目星がついたんです。死神の」 「え……どうやって?」  予想外の美紀の言葉に涼介は身を乗り出した。 「先ほどの通り、本当に一つ一つ公太くんのフォロワーを調べたんです。すると、とある一つのアカウントを見て背筋がゾクッとしたんです。何故かって、そのアカウントがフォローしているユーザーは、皆途中から更新が全くなくなってしまっていたからです。本当に、ぷつりと糸が切れたように……」  「まさか……」  涼介はごくりと唾を飲み込んだ。 「徹底的に調べましたけど、間違いなかったです。その後、ネットの色々な掲示板を漁って調べてもみましたけど、そのアカウントが死神の裏垢という見解が大半でした。涼介さん、そのアカウント、見てみますか? それが一番早いと思います」  涼介は僅かながらもその言葉にたじろいだ。まさか、一気にここまで辿り着けるとは想像していなかったからだ。しかしそれは想定外というだけで、自分が望む方向での話の急展開であることは疑いようもない。 「はい、ぜひお願いします」  言葉に力を込めて答えた。 「ちょっと待っててくださいね」  美紀は机の上に置いていたスマホを手に取り、画面をタップして操作し始めた。涼介はももの上で拳を握り締めながら、じっとその様子を見つめていた。 「あった、これです」  美紀がこちらにスマホの画面を向ける。涼介はそのスマホを受け取り、画面の中を覗き込んだ。 「るしふぁー?」  画面に表示されていたツイッターアカウントの名前は『るしふぁー』だった。 「そうです、『るしふぁー』こそ、世に言う死神の裏垢です」 「これが……」  そのアカウントの自己紹介欄に記載されていたのは、シンプルな二言だけだった。 『逃げられませんよ。覚悟してください』
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