出来すぎたキャンパスライフ

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出来すぎたキャンパスライフ

 雨の日が続く静かな秋の入り口だった。東京都内の世田谷区にキャンパスを構える洋教(ようきょう)大学。その構内を真っすぐに貫いて伸びる銀杏並木の下を、宮田(みやた)涼介(りょうすけ)は傘をさしながら一人で歩いていた。霧のような細かい雨が降るというよりは宙を舞い、くせ毛気味の涼介の髪をよりくねらせていた。  涼介は今年の春にこの洋教大学に入学し、既に半年近くが経っていた。息の詰まりそうな受験勉強の先に思い描いていた理想のキャンパスライフは、涼介の期待を裏切ることなく新鮮で刺激的な日々をもたらしてくれていたが、半年も経てば暮らしは否応なしに落ち着いたものになっていた。  目指していた十四号館の教室に辿り着き席に着くと、涼介はすぐに鞄からパソコンを取り出した。表面をサッと手の裏で一拭きして開き、電源ボタンを押してパソコンを立ち上げる。講義に出席するときのいつものルーティーンだ。ログインするとすぐにワードを開き、途中で終わっていた文章の続きを記述するためにパチパチとキーボードを叩き始めた。  涼介は大学で経済学を専攻していたが、あまり授業には身が入っていなかった。勉学の代わりに涼介が打ち込んでいたのは、多くの学生と代わり映えはしないがサークル活動だった。  涼介はメディア研究会というサークルに所属していた。設立されて二十五年と洋教大学のサークルの中でも比較的歴史のあるサークルだ。そのメディア研究会では雑誌を刊行したりウェブメディアの運営を行っていたが、将来はメディア関係の仕事に就きたいと思っていた涼介にとって願ってもない環境だった。サークルは学生のお遊びというレベルにとどまらず、実利益を出すという目標を掲げたビジネス視点での真剣な環境だったため、涼介も自然と熱中して活動に取り組んでいた。そのため講義中は教授の話を聞くのもそこそこに、専らこうしてサークル活動のためにパソコンと向き合っている時間がほぼ全てを占めていた。  涼介がキーボードを叩き始めてすぐに、隣の席に同じメディア研究会に所属する石崎(いしざき)隼人(はやと)が座ってきた。 「どう、今週の記事間に合いそう?」  隼人も同じようにパソコンを開きながら問いかけてきた。涼介は専攻もサークルも同じ隼人と大学の中でも特に親しい間柄となり、ともに過ごす時間が誰よりも多くなっていた。良く言えば大らか、悪く言えば大雑把なところもある涼介に対して、いつも冷静で地に足のついた隼人は対照的なタイプと言えなくもなかったが、不思議とお互いの波長は良く合っていた。 「結構際どいかなあ。でもなんとかするよ」  涼介はメディア研究会の中に複数ある部門の中で、ウェブメディアパートに所属しその編集を担当していた。課されるミッションはシンプルで、いかにメディアに訪れるユーザーを増やすかだった。そのために涼介は話題性のあるネタ集めに奔走し、自ら記事を執筆するという毎日を送っていた。記事には毎週ノルマとなる本数があり、まだ駆け出しの編集者として四苦八苦しながら何とかそのノルマを達成する日々だった。 「俺も。ちょっとバイト減らさなきゃまずいかもな」  隣の隼人があくびを噛み殺しながら言う。 「そうだよな。でも取材だ何だで、結構金飛んでくのが辛いよな」 「やっぱ、飲みを減らすことだよな手っ取り早いのは」 「間違いない」  とうに始まっている講義はどこ吹く風といった様子で、二人は学生らしい他愛のない会話をそこそこに交わしながら、パソコンを睨みキーボードを叩いていった。  ほぼ何も記憶に残っていない講義が終わると、二人は連れ立って教室を後にした。二人ともこの後の講義はなく、サークルに参加することにしていた。メディア研究会はキャンパス内の南棟に備えられている、パソコン環境等が充実した情報通信センターの一室を借りて活動するのがメインだった。 「よっ、お疲れ」  部屋に着くと、同じ一年生の玉置(たまき)瑞奈(みずな)がひらひらと手を振りながら話しかけてきた。 「お疲れ。早いじゃん、今日」  隼人が瑞奈に軽く手を振り返しながら言う。 「四限、ブッチしちゃった。出席点ない講義だから大丈夫なんだけどね」 「出た、常習犯。どうせテスト前に誰かにノート見せてもらって乗り切るんだろ」 「そんなことないよ。今期から心入れ替えて臨んでるからね」 「ふうん、どうだかね」  隼人は微笑を浮かべながら椅子を引いて腰掛けた。 「涼介はどう? 記事進んでる?」 「いやあ、もうパツパツだよ。今日一気に集中してやらないと」 「そうかあ、私も同じだよ。頑張ろうね」 「おう」  瑞奈とはサークルに入会した当初からすぐに気が合い、仲良くなっていた。自然と二人で遊びに出かける機会も増え、するすると距離が近付いていった。そして、つい最近過ぎ去ったばかりの夏に二人で出掛けた花火大会で、涼介から告白をして付き合うことになったばかりだった。瑞奈は顔立ちも良く、愛嬌のある性格も備えていたため人気が高く、交際をカミングアウトした際は周囲から大いに嫉妬を買ったものだった。絵に描いたような出来すぎたキャンパスライフだなと、自分のことながらどこか他人事のように涼介自身もそう感じていた。 「そう言えば、メールで記事ネタ提供の応募が結構来てたよ。この前の心霊現象の記事がバズってから、一気に応募が増えたみたい」  隣の席に座った瑞奈が言う。メディア研究会ではサイトや公式ツイッター等で随時記事のネタを募集しており、提供者には金銭的な報酬やサイトで紹介する等の見返りを提供することにしていた。そのネタ提供の応募が直近で増えて来ているという。 「へえ、分かりやすいもんだね。バズるってやっぱすげえなあ」 「私なんかは逆に、バズったコンテンツなんかは斜に構えてみちゃうけどなあ」 「そうなの?」 「うん、ちょっとひねくれてるから」  瑞奈がおかしそうに笑う。 「それよりも、日の当たらないところでひっそりとしてるけど、よく見てみると面白いじゃんってものの方が好きかな」 「自分だけが気付いてるっていう優越感みたいな?」 「うん、多分そうだと思う」  また瑞奈は笑った。 「言わんとすることは分かるな。インディーズのバンドに夢中だったけど、メジャーデビューしちゃった途端になんか冷めちゃうって話もあったりするよね」 「そうそう、まさにそんな感じ」 「はは、面白いな。で、何だっけ……ああそうだ、ネタの応募がかなり来てるって話だよね」 「そうそう、私もまだ全然目を通せてないんだけど」  応募があったネタ提供者とは共有のアカウントから誰でもコンタクトが取れるようになっており、実際に記事制作に使えるのは早いもの順と決まっていた。 「俺も今はまだ見れないな。今週の記事仕上げて落ち着いたらまた見てみるかな」 「うん、まずは目の前の課題だよねえ」  瑞奈は手元のカフェラテのストローに口をつけてパソコンを恨めしそうに睨んだ。 「二人とも、随分険しい顔だな」  茶化すように隼人が前の机から振り向いた。 「来月には秋合宿も控えてるんだから、その準備も進めなきゃだぞ」 「あーそうだ、もう来月かあ」  瑞奈が少し大げさな声を上げる。 「俺もすっかり抜けてたなあ……でも、実際何するんだっけ秋合宿って」  毎年十月に行われる秋合宿は、メディア研究会の中で春と並んで二大合宿と呼ばれる大きなイベントだと聞いている。 「そこで缶詰になってネタを徹底的に吟味して詰めていくんだと。各自とっておきのネタを最低三本は用意して持って来いって宿題になってる。この前全体ラインで流れてたろ」 「あ、それ見逃してたかも……」 「鬼合宿って言われるくらいだからな、半端なネタを持ってったら酷い目にあうぜ」 「だよね……」 「やばいよお、わたし全然そんなネタ思い浮かばないよ」  瑞奈が音を上げる。 「とにかく、今週の記事を早急に仕上げなきゃな」 「そういうこと。さて、続き続き」  隼人がくるりと前に向き直った。 「よし、泣き言言ってられないから続きやるぞ」 「はーい」  涼介は気持ちを再度入れ直して目の前のパソコンに向き合った。しばらくは目の回るような忙しない日々が続きそうだ。
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