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何故この話をさっきのところで止めてしまったのだろうか。ぞわっと肌が粟立った。これ以上聞くのもよくは無いと思うのだけれど、席を立つことができない。このもやもやとした気持ちのまま部屋に戻るのも良くないと思ったのだ。Fさんのことだから、最後に笑い話にしてくれるとも思った。
「もしかしたら、あれは私の同僚ではなかったのかもしれません」
Fさんは相変わらずにこにことしている。それがなんだか余計に恐ろしかった。これが怖い話なのだとしたら、Fさんには語りの才能がある。笑い話にするために、最後までこの話を聞かなければならないと思った。
「結局、その後同僚の葬儀やら何やらに付き添っている間にですね、妻からいらぬ疑いを掛けられて私たち夫婦は別れることになってしまったんですが、…ここまで話すと怖い話になりましたかね?」
顔を上げたFさんと目が合う。余りにもにこやかな表情でいるから、私もつられてそうですね、と笑った。社内の誰もが聞けなかったFさんの離婚の理由を私だけに打ち明けてくれたのだろうかと思ったら、なんだかFさんとの仲が親密になった気がした。
「でもね、時々考えるんです。彼はもしかしたら、あの奥様から逃げたのではないかと」
「…と、言うと?」
「奥様は凛として美しい人ですが、どうにも情が薄いくせに独占欲が強いのです。同僚の浮気を許していたのも、絶対に逃がさないという怨念のようなものがあったからだと思います」
「逃げた、と」
「顔なんて分かりませんでしたからね」
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