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「過ぎたことを悔やんでも仕方ない。もし、また来たら、どうするのかを考えておくことだ。来なければ仕方ない」
「仕方ない…って、でも…、もし、本当に虐待だったら、最悪のことだって」
「そうだな。死ぬこともあり得る。それも運命だ。お前が、あの一瞬で顔を覚えていて、この近辺を探し回るっていうなら止めはしないがな」
ナミの顔が力なく左右に振られる。あっという間に逃げられたのだから仕方ない。
「どうして、この場に自分たちを呼んだのですか? ナミに伝えれば済んだ話だと思いますが」
「ナミだけでは心もとないのと、ここで起こったことの報告は一度で済ませたい。まーちゃんは注意深く観察しそうだからな」
「ひどい。俺だって、その子を見つけるのに協力できるのに!」
「無論だ。こー君はいつもの見回りを強化して、細くて小さい少年がいないか気をつけておけ」
反応が薄いまーちゃんとは対照的に、こー君は誇らしげに胸を張り大きくうなずく。ナミは一言も発することなく、こー君に付き添われるようにして出て行った。
誰もいなくなった部屋で、あのときのことを思い出していた。
ナミに話しかけられて驚き、体を震わせたときに少年から見えたものは、悪夢に違いないものだった。自分に向けられる憎悪、蔑み、侮蔑の念、体に走る痛み、心を支配する冷たさ、何より、そこに戻るしかないという現実。少年の中で満たされているものは何ひとつなかった。心も体も。まるで、すべての細胞が力を失っているようだ。
そして、なぜあの少年が気になったのかがわかった。いつだったか思い出せないほど昔、まだ、宰相と出会う前の、古い記憶と重なっていたのだ。まだ何者でもなかった頃の自分の姿。救いたいとまで思っていたのかはわからない。だが、見過ごすことはできなかった。
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