ルドベキアに散る

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 滴るミートソースからは、ニンニクの香りが立ち込めている。雪のような粉チーズをふんだんにパスタの上へふりかけたセインは両の手の指を組み、目を閉ざした。  向かいではヨハンがテーブル上に広げた写真から目をそらす。 「コレ見ながらよくそんなモン食えるな」 「死体とミートソースに因果関係は何もありません、ヨハン。因果関係を感じるのだとしたら、その理由はあなたの想像力が豊かなせいか、あの死体の山に罪悪感があるからだ」 「フツーの人間は食欲が湧かないもンなんだよ」 「僕はお腹が空きました。朝食を食べ損ねてしまったんです。隣のエヴァがまた飼い猫を逃してしまって。朝から庭中を探し回っていましたよ」  コーヒーを煽るヨハンにセインは微笑んだ。  昼時をとっくに過ぎたダイナーに落ち着いているのは、不愛想なウエイトレスと、震える手で酒を注いでいる初老の男。そして窓際で物々しい写真を広げている、ヨハンとセインだけだ。  セインは天井付近に備え付けられたノイズの激しいラジオを見上げる。 「先日の発見から、君の部署は何か進展はあったかい? ヨハン」 「今ラジオ聞いてただろ」 「『路地裏のアバドン』なる悪趣味なネーミングセンスも、あなたの部署?」 「それは勝手に新聞が呼んでるだけだ。そもそもアバドンってなんだ? 売れないマスコットキャラクターか?」 「意味は、破壊者。滅ぼす者。ある合図を機に、神の信仰を捨てた人間へ長期に渡る苦痛を与える天使です」 「拷問が趣味ってなら的を射た通り名だな」 「肯定できかねますね。アバドンは地獄にいるサタンを見張られていた、れっきとした大天使です。それが先ほどの職務を後学の人間たちがどう解釈するかによって、堕ちた天使と定義されただけのこと。拷問は彼の趣味ではありません」 「このご時世じゃそう思われて当然だ」 「そうですね。今の時代、信仰の自由は法律によって保証されています。何せ、神様がこの世界を去られて100年が経ちました」  薄い唇についたミートソースを真っ赤な舌がぺろりと舐めた。   「僕も、ここのミートソースパスタのためなら改宗します」 「もっと美味い店が市庁舎の周りにあンだろう」 「僕は酸っぱいトマトソースが苦手なんです」 「中身はじいさんで舌はガキかよ……」  ぼやくヨハンは写真をセインの手元へと滑らせる。
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