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やっぱりこいつは猫ではない。
なんか当然のように空中浮遊しているが、この世の生物でこうも優雅に空を浮く生物は居ない。
鳥だってあんなに一生懸命羽ばたいているのに、こいつは実に気持ちよさそうだ。
更には腕を組みながらくるみのことを俯瞰しているが、猫は関節的な問題で、腕を組むなんて芸当出来やしないのだ。
ふざけるな。
なんて思ったところで、この猫には全く関係ないのだが。
「気にするな。おいらは神だ」
「君を神様だなんて認めません!」
「嫌。おいらは神だ」
自信満々に一人で首肯している。
駄目だ…。
話が通じない。
叱咤された子犬みたく俯いたくるみだったが、猫が「神」を連呼するのにイライラして反射的に視線をあげてしまう。
猫は意外なことに不愉快なスマイルをやめていた。
何かメモ帳的なものを眺めている。
「武井理沙。藤田綾。冴島久美。これに話し掛けようとしてさっき見るも無惨に逃げただろ」
三人のフルネームを一字一句間違えずに述べたことに、猫が神なのかもしれないと騙されそうになった。
けれども、あの三人のフルネームなどクラス名簿を見れば一発でわかるし、連絡網にも名前くらい記載されている。
そう判断して敢えてそこには触れなかった。
「…見てたんですか?」
「見てた」
満足そうに大きく首肯しているが、くるみにとっては最早恐怖でしかない。
「…純粋に怖いです。何時からですか?」
「お前と別れてからずっと…」
「…ストーカーです」
「そんなこと言うと神虐待で訴えるぞ!」
「動物虐待みたいに言わないでください」
溜め息と共にくるみは立ち上がっていた。
スカートに付いてしまったのであろう埃をぱんぱん手で払ってから、慣れた手つきで左耳にストレートの髪を掛ける。
先に口を開いたのは猫の方だ。
「なんで話し掛けれないか教えてやろうか」
そんなの、教えてもらわなくても知っている。
「君、お名前は?」
「神に名を訊くときはまず自分から!はい!やり直し」
あぁ。面倒くさい。
「椿くるみです。はい、君の番」
「これはこれはご丁寧に。おいらの名前はとめ吉だ」
変なところで素直なのが余計気持ち悪い。
「…古くさい名前ですね」
「…人間。お前だって木の実みたいな名前だろうが」
「なんてことを言うんですか!パパとママに謝ってください!」
「…お前もな」
夏が終わり人々の服装は半袖から長袖に変わる。
周辺の木々が紅葉するのはまだ早く、屋上からの景色は気持ちのいい森林緑。
けれど、ここから数分歩いたところには森林は跡形もなく。
都会の景色は相変わらずの店やビルで埋め尽くされ、車の排気ガスが空気を汚染する。
目の前の猫はくるみの機嫌を汚染した。
「和泉海」
「へっ!?」
「これで和泉って読むんだな。平和の和いらなくねぇー」
気づくと、とめ吉はまたさっきのメモ帳的なものを出して首を傾げていた。
視線をメモ帳からくるみに移し問い掛ける。
純粋無垢な幼稚園児のような表情だった。
「好きなのか?」
「えぇぇっー!!!」
とめ吉が瞬時に耳を塞ぐ。
何度か瞬きをすると、とめ吉は、「殺すぞてめぇ…」なんてニュアンスの睨みをくるみに向けた。
これにはびびるくるみ。
「ご、ごめんなさい…」
とめ吉は咳払いを一つして。
「てことは好きか?」
「違いますっ!!!」
きーーーーーーーーーーーん。
どうやらくるみの甲高い声は良く通るようだ。
「わ、わかった。おいらが悪かった…。謝るから二度とでけぇー声出すんじゃねぇー。凶器か…」
身体を弓形に屈まらせて胸にある制服の校章に手を添え、くるみはもう一度全力の雄叫びをぶちかます。
とめ吉は耳を塞いで片目を閉じ、注射をされる直前の五歳児みたいな表情で雄叫びを耐えると、黙って自前の耳栓を装着した。
そんなものをどこから。
今更か。
「どうしてですか?」
何事もなかったかのように話が再開する。
「答えたら好きって認めるか?」
「…だから、それは」
「違わねぇー。和泉海はお前にとって特別な存在なんだ」
「どうして?どうして君にそんなことがわかるんですか?」
言ってから気づく。
なんだろう。
「おいらは神だ」
「言うと思いました…」
なんだろう。
何故そんな臭いがしたのかも、あんな音が聞こえたのかもくるみにはわからない。
だが、一時間目の終鈴が鳴り響くのと殆ど同じタイミングで、鼻の奥がつーんとなる火薬の香りと、小学校の運動会なんかで良く聞く空砲の音が、どこからか聞こえた気がした。
なんだろう。
「お前が、和泉海を好きだと認めたとき、今の答えを教えてやるよ」
「えっ…?」
少し、頭が痛い。
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