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あゆみが踵をすとんと落として背伸びをやめる。
掴んでいた海の腕をさっきよりも強く掴み、桜色だった血色の良い肌をまるで死人のように青白くした。
「…好きな人?」
泣くなんて、思わなかった。
あゆみはいつも明るくて、いつも海に我が儘を言って困らせた。
人気者で気が利いて、積極的で。
誰が見ても、女の子で。
海のことを兄のように慕っていた。
好き。
この気持ちの重さに、気づいてやれなかった。
「…ああ」
「先輩、この前いないって…」
「言ったな…。確かに」
体側で両手をぎゅっと握り、俯いたことで前髪があゆみの表情を隠す。
持てる力を、最後の大会で出しきれなかった部員のように、震えるほど手を握りしめている。
痕がついてしまうのではと心配になるほど、あゆみは下唇を強く噛んだ。
…俺が悪い。
そう思い、海が声を掛けようとあゆみの名を口にすると、彼女は握りしめた拳を隠すように、お尻の後ろで手を組んで身体を若干左に傾けてから、満面の笑みを海に向けた。
にっこり笑って白い歯を見せた。
「いいなぁー。先輩に好きになってもらえるなんてっ!…どんな人ですか?私より可愛いですか?」
「…山上」
「あぁーごめんなさい。海先輩は詮索されるの嫌いでしたね!もうやめます…。だから、哀れな子猫を見るようなそんな目は、先輩もやめてください」
本人は精一杯泣きそうなのを隠してるのだろう。
涙が出ているのに、笑っていた。
「悪い…」
「どうしてぇ?どうして先輩が謝るんですか?」
声が切なく裏返る。
甘えん坊な妹みたいな笑顔が、消える。
今のあゆみの顔は、女の顔だ。
涙が零れ落ちる。
「狡いです。先輩…」
謝って欲しいわけじゃない。
自分に有利な答えが欲しいだけなんだ。
慰めなんていらない。
欲しかったものはもう。
手に入らないんだから。
謝られたら全部。
終わっちゃうじゃん。
リセット。
あー、ゲームって便利だな。
それで。
なかったことにできるんだから。
スカートを翻してあゆみがくるりと踵を返したとき、彼女によく似合うピンクの下着が見えた。
それが態となのかそれとも偶然なのか、真実はあゆみに訊いてみないとわからない。
「忘れて下さい」
そう言った彼女の声は。
死を目前にした蝉のような、悲しい脱力感があった。
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