第二話「いなくなった」

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 三人で暮らし始めてからというもの、近所のスーパーに働きに出て、女手一つで私たちを育ててくれた。母の性格は、とにかく几帳面で奇麗好き。いつもにこにこ笑っているけど、片づけや姿勢、特にマナーは普段からよく注意された。でも感情的にがみがみというのではなく、いつも私の手を握って、目を見て寄り添うように諭してくれた。その暖かさにいつも(よじ)れた結び目が(ほころ)んで、優しい母の胸元で安心して泣いたのを覚えている。  兄は不思議な子供だった。    話しかけても視線を逸らしてぷいとどこかへ行ってしまうし、自分から感情を表現しようとしない。よくみたのは、声を発しない兄が母のズボンの裾を引っ張って、何かを訴えている光景だ。困ったように笑う母は、もの言わぬ兄の心に寄り添おうと必死に見えた。兄に対して叱ることも、喋るように唆すこともない。    やがて小学校に上がった兄は、集団生活のなかで明らか浮いてしまう。周囲からは誰とも関わろうとも接しようともしない”問題児”と陰口を叩かれ、保護者である母は職員室に通い詰めた。  病気なんじゃないか。病院に連れて行った方がいいんじゃないか。カウンセリングを・・・・・・  先生たちには口を酸っぱくして言われていたようだが、母は頑なに兄を病院へと連れて行こうとしなかった。 「うちの子は普通です。病気じゃありません。ただ、少し物静かなだけで・・・・・・そのうち・・・・・・」  母は常にそう繰り返していたが、状況は依然として変わることはなく。兄が中学校に上がったとき。母が壊れた。     
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