第二話「いなくなった」

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 迎えに来た母親の様子はいたって普通で、あの瞬間見せた鬼の姿は消え失せていた。それ以来怖くなって、私は母の目を真っすぐに見れなくなった。どんな顔をしていても、ぜんぶ嘘に見えるからだ。あの日見た鬼の姿が本当の母で、普段は作り物のような喜怒哀楽を張り付けているんだ。そう思うようになってからは、母を母として見れなくなった。  母はどんどんおかしくなっていった。  些細なことで声を荒げて怒ったり、トイレの中で独りでずっとぶつぶつなにか言っていたり。挙句の果てには、家に盗聴器が仕掛けられていると騒ぎ出してコンセントを全てトンカチで破壊した。買い物帰りの電車の中で突然大声で笑い出した時は、さすがに母を置き去りにしてその場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。  それから半年後、決定的な事件が起こる。  週末に家族三人で訪れたのは、近所のファミレス。お昼時の店内は家族連れやカップルで満員。大好きなハンバーグセットを注文した私は、熱々のポテトに苦戦しつつも、中からチーズが零れだすボリュームたっぷりの極太ハンバーグを頬一杯に詰めて味わっていた。隣で兄は蕎麦を物静かに啜っている。  母はリゾットを行儀よく口に運びつつ、穏やかに微笑んでいた。今日は大丈夫そうだなと、少し緊張が緩む。  その時だ。しまった。足元にフォークを落としてしまい、慌ててテーブルの下に潜り込む。届きそうで届かない場所に引っかかっていて、眉間にぎゅっと力を入れて手を伸ばす。     
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