第二話「いなくなった」

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 海の匂い。鼻先をつんとくすぐる様な潮の香りが、海風に乗って漂っていた。早くに祖母を亡くした祖父が、ずっと独りで暮らしてきた古民家。柱や壁、天井なども継ぎはぎだらけで隙間風が吹き込み、ネズミの巣が至る所にあってうんざりしたこともあったが、母のいない毎日は解放感に満ち満ちていた。  兄は相変わらず何も語らなかったが、祖父も負けじと何も語らない人だった。似た者同士でシンパシーを感じたのか、兄は祖父の書斎に上がり込み、本棚にあった小説を何冊か拝借しては、時間を忘れるように縁側で読みふけっていた。祖父に勧められたのか、ノルウェイの森や微熱少年、ぼくらの七日間戦争などもお気に入りのようで、夜は枕元に積んでは灯りが消えるまで没頭していたのだ。  夕食は祖父が海で釣ってきた魚を毎日振舞ってくれた。メバルにサバにイワシ。たまにチヌ、グレなどの上物もあった。私も祖父の隣に並んでお手伝いをしたから、小学生にして、魚のさばき方はかなりのものだったに違いない。  魚を水洗いして、鱗を取り、はらわたを抜く。頭を切落したら、三枚におろして、腹骨を取る。切り身は南蛮漬けや生姜煮にしていただいた。さばくときに出た頭や内臓や骨等のアラは、冷凍庫で保管して溜まったらアラ汁にした。これがほっぺたが落ちるほど美味しかった。     
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