第二話「いなくなった」

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 今でも包丁を持つたびに思い出す。横に並んだ祖父の太い指。色黒で肌はガサガサ。ゴツゴツしているけど、てきぱきと器用に動く指。漁師でならした祖父は、私を高校にまで通わせてくれた。けれど、卒業式の晴れの日に、祖父の姿はなかった。  粉雪がちらほらと漂う夜。祖父は縁側に腰かけ、朽ち果てるように冷たくなっていた。  こんな真冬に、蛍でも見つけて灯りにつられたのだろうか。まるでじっくりと庭を覗き込むような姿勢のまま、穏やかに止まった祖父の時間。  私と兄は、祖父を失った。これで家族を失うのは三度目だった。  本土の企業に内定をもらった私は、祖父と暮らした島に別れを告げた。  これからどう生きるのか。選択肢はいくつかあったのだが、私が選んだのは、兄との二人暮らしだった。  母の一件以来、人との接触を拒むように部屋に籠りきりになった兄。祖父が亡くなるまで、とうとう学校にも通うことはなかった。それでも私にとって、最後の家族。そう、もう兄しかいなかったのだ。 「行って来いよ。気晴らし。俺は構わねーから」  くしゃくしゃになったチラシを差し出しながら、兄は視線を逸らしていた。かさかさに乾いた唇はひび割れていて、あごには無精ひげが張り付く。あっけにとられた私の口が何かを発する前に、兄はいつもの背中を揺らしながら静かに巣へと還っていった。     
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