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第二話「いなくなった」
わたしの記憶という名のプール。
息を吸い込み、めいっぱい腕を伸ばして触れた底。そこは、極限までさかのぼることのできる記憶の限界点。
アスファルトが溶かされそうな、暑い日だった。
透き通るような碧さが広がる空に、砂を巻き込んだ排気が煙っている。わたしは口を結んで、ぼんやりと目を薄く開けながら窓の外を見ていた。門の前から、重そうな段ボールや衣装ケースを積み込んだトラックが、けたたましく空気を振動させながら遠ざかっていく。
四歳の私と、七歳の兄。ふたりはこの日、父親を失った。
父について覚えていることは、一切無いに等しい。物心がついてから、母と離婚して親権を放棄し、去っていったという歴然とした事実のみを知った。この日兄と並んで見送ったトラック。助手席に乗っていたであろう父が、私の中に残る唯一にして最後の姿である。
母に関しては、よく覚えている。忘れもしない。
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