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「うっふふ、これはこれは」
芳之助は、子どもが持ってきた文をひらひらさせた。
「もてる男は、辛いねえ」
「おいおい、行くつもりなのか? さすがにまずいだろう。やっと勘当が解けたばかりだというのに……」
「なあに、兄貴が死んで、親父はめっきり気が弱くなっているんだ。近頃じゃ、がみがみ言う元気も無いのさ」
店の金を持ち出したのがばれて、勘当同然になっていた芳之助は、小唄の師匠をしているおようの家に転がり込んで、半ばひものようにして暮らしていたのだが、流行風邪で兄が死んで呼び戻された。それっきり、おようの元へは足を向けていない。
父が手切れ金を渡そうとして、目を吊り上げて叩き返されたという話は聞いた。
てっきり、とうに愛想を尽かされたものと思っていたのだが。
「だが、縁談は壊れかねない。俺は心配しているんだよ。今騒ぎを起こしたら、さすがに親戚連中だって黙っちゃいないだろう。それこそ本当に久離勘当を食らいかねない。人もあろうに、あんなとうのたった大年増なんかのためにそんなことになっちゃ、間尺に合わないぜ」
堅苦しく気を遣って暮らさねばならない婿養子の口を、芳之助が嫌ったせいもあるが、どんなに顔が良くても、店を継げない次男坊では、縁談の声はかからなかった。
だが、兄が死んだ棚ぼたで跡取りにおさまった途端に、降るような縁談が持ち込まれるようになり、通町の大店、三国屋の一人娘で、小町と聞こえの高いおそのとの話が進んでいる。誰もが羨むような縁談だ。
「たった一夜限りのことさ。文にだってそう書いてあるし……」
りっぱな大名家で行儀見習いをしているというおそのは、もうじき丸二年の年季が明けて戻ってくることになっている。そうなってはもう完全に、これまでみたいな勝手は出来なくなるだろう。
だから、最後に一晩だけ――
悪友の手前、軽佻浮薄を装いながらも、未練を残しているのは自分の方かも知れないと、芳之助は思った。
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