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「目を覚ませ。ミズキ、お前そんなんじゃなかっただろ。ほんとうのことを教えてやる。タクミは、あいつに浮気されたから別れたんだ。しかも、バイト先の客のおっさんとホテルに行っていたんだよ。なのに、わけのわからないことを言って、ひとの気を引こうと、リストカットをするんだとよ。向井キズナって、そんな奴なんだよ。お前には合わない。頼むから、いますぐ向井キズナに連絡しろ。今日は家に来るなって伝えろ」
「なに、そんな、訳のわからない話。急に言われても困る。いやだよ、そんなの」
「俺の言うことが聞けないのか?」
洋平は凄味のある物言いで、私に食らいつく。私は、一向に私の意見を聞かない洋平が、まるで知らない人間のように思えた。実際、すでに知らない人なのではないかと思う。洋平は変わってしまったのだ。
私は捕虜として解放を望み、震える指で文字を打った。
『ごめん、今日は洋平が来てるから、うちに泊まるのは無理になった。迎えにいけない』
すぐに既読のマークがつくと、十秒も経たないうちに返事がとどいた。
『どうして? 私、ミズキが守ってくれないと、ストーカーに殺されちゃうよ』
私の携帯の画面を見て、洋平は、そんなわけないだろ、と毒づいた。私は、彼の無知を情けなく思った。実際、洋平はあの夜のサラリーマンを見たことがないから、簡単にそんなことを言えるのだ。洋平は男だから、キズナの夜の恐怖や暴力への無力感を知らないのだ。あんなに怯えているキズナが、お客さんとそんなところには行かない。行くわけがない。
ほんとうのキズナは、残虐な鋼鉄を持つ男性ではなく、やわらかいにおいを香ばしくあぶるような、暗闇の体温に安心するような女の子が好きなはずなのだ。
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