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71 一花を悩ませるもの…1
寝室の襖の向こうから夏目の声がした。
返事をせずに待っていると、静かに戸が動き、隙間から小さな影が見えた。
外は雨が降っているのだろうか。前髪が所々束になっている。
ライダースの下に着込んだパーカーの袖から買い物袋がぶら下がっている。俯く彼女の優しさに思わず目を細めた。
「一花」
ベッドに座ったまま手を伸ばす。
すると今までじっとしていたのが嘘のように、とらが廉司の膝の上からヒラリと飛び降りた。ピョコピョコと体を上下させながら、のんびりした調子で一花の足元へすり寄っていく。
甘えた声を上げるとらに、一花の表情が少し和らいだ。小さい鼻から息を一つつき、身を屈めてとらの背中をゆっくり撫でた。
「一花」
「……とらちゃん、元気がないって」
「あぁ。エサを食べねぇんだ。どこか悪いのかもしれない」
廉司の言葉を聞いて、一花はとらの全身を隅々まで触ってみる。リハビリ中の足に触れた時は少しビクついたが、それ以外は終始気持ち良さそうにしている。
持っていた買い物袋からスティック状のパウチを取り出し、封を開けてとらの鼻へ近づける。
とらは途端に目を輝かせて、パウチの口をぺろぺろと舐めた。
一花が少し眉根に皺を寄せる。廉司は肩を竦めた。
「お前が来てくれたから元気になったのかも」
「……」
「嘘じゃねぇ。そんな顔をするな、一花」
彼女に向かって手を伸ばしたまま、こっちへ来いと呼ぶ。
一花は躊躇っていたが、根競べなら廉司も負ける気がしなかった。
とらを抱き上げてグズグズとベッドに近づいてきた一花は、廉司の手が届かないギリギリの位置で立ち止まった。
この期に及んでまだ抵抗しようとする意固地な所も可愛らしい。
しかし、それをからかったりすれば彼女はへそを曲げてしまうかもしれない。
「何買ってきてくれたんだ?」
一花はとらを絨毯に下ろすと、まだ残っているパウチの中身を指で押し出した。大人しく待つとらを一撫でして、廉司に背を向けたまましゃがんで与える。
夢中で食べるその姿に安心したのか、一花の纏う空気が柔らかくなる。
廉司はその隙に絨毯に腰を下ろし、彼女との距離を詰めた。
「ちゅーるです。猫ちゃんのオヤツみたいなもの」
「そうか。買っとけばよかったなぁ、あの時」
「!」
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