act.3 飲食店の店員に敬意を払える人間に悪い人はいない。

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 彼がまっすぐにあたしのテーブルに近づいてくる姿を、並みいる女性達が声を潜めて注目していた。  ……ああ、快感。テラス席中の嫉妬と羨望があたしに降り注ぐ。  イケメン、でしょ? 高身長、でしょ?  その上東大理学部卒なの。東大講師の座を捨てて経営コンサルタントとして独立したの。  しかもおうちは白金の地主なの。お姉さまはおられるけど長男なの。  この人と結婚すれば新たな世界が拓けるわ! あたしは今その鍵を手にしようとしている。  そのための今日のデート。気合いを入れてオシャレしてきた。もう編集長なんか振り返らない。  うらやましいでしょう並みいる女子共よ。さあ、羨望の眼差しであたしを見つめるがいい。  あたしは新しい世界に飛び込むんだから……! 「……じゃあ、新たな世界を拓こうか。いいんだな? 俺も新たなデータが欲しかったところだ。まずは腹を割ってもらおう。用意出来る金額はいくらだ? 最低200万は欲しい。……さあ教えて頂こうか」  にっこり、と笑う玉木さんの笑顔はなぜか猟奇的。あれ、おかしいなあ。あたし達は今からここで甘い会話を繰り広げて、それで恋に落ちる予定だったのに……。 「お……お金ですか? 200万ならなんとか用意出来ます。いちおー貯金はまだ300万ありますけど、やっぱ生活費としてある程度は残しておかないと不安だし。信用のないフリーランスなんで、どこもお金なんて貸してくれないし……」  貯金額なんて、言う必要はなかったのに。すぐに相手に手の内を明かしてしまうのは、あたしの悪い癖だ。  やって来た店員さんにブレンドを注文して、それから玉木さんは長い脚を組み直すとふん、と鼻で笑って言う。 「300あれば上等だ。初期投資は200もあればいい。俺の言う通りに動け。何も心配はいらない」 「……待って下さい。あたしまだ、やるって決めた訳じゃ。ちょっとお話を聞いてみようと思っただけで、そんな開業なんて大それた事、あたしに出来る訳が……」  あたしは慌てる。なんだかもう話が決まっているような玉木さんの口ぶり。  和哉は「とりあえず話だけでも聞いて来い」って言った。だから恵比寿のカフェを指定して、デート気分でわくわくしながら待っていたこの素敵な男の人。
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