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act.6 担げ!うどん姫。
編集長の名前は、伊勢谷樹という。42歳。バツ2。慶応卒。
男性が少ない女性誌の編集部で采配を振るう編集長は、見た目で出世したんじゃないかとまことしやかに囁かれるイケメンだ。線が細くて色が白い。
でも華奢というような印象ではなくて、どちらかと言えば細マッチョ。趣味はクライミングで、仕事の合間によくクライミングジムに通っていた。あたしも1回だけ誘われた事があったっけ。
ちょっとした企画に呼ばれる程度のあたしは、滅多に顔を合わせる事はなかった。仕事には厳しい人だとは聞いていたけど、会えばあたしのような末端のブロガーにも会釈をしてくれた。だからあたしにとって編集長は、バツ2という事をさし引いても、仕事も気遣いも出来る人、という印象だった。
その手腕で、編集長が就任してから美人百華はぐんぐん部数を伸ばした。毎月巻末でやっていた『コスメ座談会』という企画にあたしが呼ばれ始めて2年が経った頃、編集長はあたしにこう声をかけてきたのだ。
「中条さん、いつも頑張ってるね。ブログ毎日見てるよ。文章が上手だな」
座談会の帰り呼び止められてそう言われた。素直に嬉しかった。有名女性誌の編集長に褒められる。駆け出しのライターにとって、こんなに嬉しい事はない。
「でも直せばもっと良くなりそうなところもあるよ。良かったらこのあと食事でもどう? 僕なりのアドバイスが出来ればと思うんだ」
頷く前に、あたしはもう覚悟を決めていた。
その先があっても断らない。嫌ですも帰りますも言わない。子供じゃないんだからどういう意味かなんてちゃんと分かってる。
これであたしは美人百華の専属ライターになれるんだ。そう思った。その夢は叶わなかった。でもあたしには別に編集長を恨む気持ちはない。
親しくなればなるほど、優しくしてくれた。あたしの収入じゃ行けないような素敵なお店に連れて行ってくれた。久しぶりのセックスはあたしを綺麗にしてくれた。だから、ちゃんとお礼を言ってお別れしよう。
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