act.1 破れかぶれのチーズ。

2/7
42人が本棚に入れています
本棚に追加
/232ページ
「りょーかいっす。おまかせ下さい。必ずやご満足頂く品をお出しします。……おいそこの『ティッシュ』! 俺は厨房に入るから、お客様のビールが無くなったらお前が注ぐんだぞ。前に倒してから奥だ。ほら復唱。『前に倒してから奥』!」 「……えっ。『前に倒してから奥』? いや何が? ああ、あたしにサーバーでビールを注げって、そーゆー無茶ぶり?……」  ……反論も終わらないうちに、和哉は厨房へと消えていく。あたしはそのスーツのお客さんと、ふたりっきりでカウンターに残される格好になって、仕方がないからえへへと笑ってから話しかけてみる。 「……なんでしょうねえ、あの男。お客さん放ったらかしで。最近は料理ってゆーと目の色変わって、自分のしょーばいなんだと思ってんだか……」 「…………。君は……」  そのお客さんは、あたしの方を見て何かを言いかけた。言いかけて、止めた。その表情に、あたしも思わず息を飲む。  そして、訊く。 「……えーと、どこかでお会いした事ありましたっけ……」  スーツのお兄さんは、あたしの顔を見て明らかに驚いたような顔になったのだ。まるで長く会っていなかった知り合いを見つけたように、目を剥いて口元に手まで当てている。 「あの。あたしは美容ライターの中条華ですけど。どちらかでお会いした事があったのかな。ごめんなさい、すぐにお名前が出てこなくて」  こういう時にはとにかく謝るに限る。フリーランスになって3年目。あたしも多少は顔が売れてきたという事だろうか。  謝るあたしからその人はふいと目を逸らす。……ん? 怒ったのか? 目を逸らして眉間にシワを寄せて……ごほん、と咳払いをして。 「……いや、初対面だ。失礼した」  それだけ言うとグラスのビールを一気に飲み干してしまう。あ、どうしよう。  和哉はさっき、あんな事を言ったけど。  ホントにあたしがこの人のビールのお代わりを注いでもいいのかな。なんだかあまり友好的な雰囲気は醸していない、この背の高いまだほぼシラフのお兄さん。  綺麗な顔に上質なスーツ。ちょっと気後れしてしまうけど、黙って座ってる方がよっぽどしんどい。だからあたしはいつもの調子で、笑顔を作ってお兄さんのグラスに手を伸ばす。 「不良店主に無茶ぶられたんで、お注ぎしますね。とは言え初体験だから、うまくできるかなあ……」
/232ページ

最初のコメントを投稿しよう!