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兎は慌て、悲観する。
とばりが落ちてきた。おかげでここ数日の夜は明るいままだ。「これでは眠れやしない」と雛市は毒づく。ただでさえ、異国の慣れない地での任務は冷寒で心労が多いというのに……どれもこれも、あの少女のせいだ。
名前を「とばり」という。
窓台に腰かけて空の様子をうかがうも、やはり夜の闇は訪れそうにない。また経験したことのない寒さから彼は大きな羽を防寒に使わなければならなかった。さて、あの娘はどうなったろう? 雛市は少女の様子を見に行くことにした。
正しくは「兎玻璃」と書くらしい。その名の通り、兎のなりをした少女は月の国で夜の帳を下ろす役割を担っていたという。つまり、彼女が夜を作っていたわけだ。
群青や濃紺、消炭色など日毎に異なる窓掛けを引く。そのどれもが暗色系でとても光沢のある布地だと語った。ところが、兎らしく日々駆け回っていた少女は月の上を勢いよく滑って、そのまま落ちた。この話を聞くにその日は三日月だったのだろうと思う。もっとも月の国にそのような概念は無いと、とばりは言っていた。まぁ、至極真っ当な話だ。月に住んでいるのなら、この地球から見える形など分かるまい。
雛市は半ば呆れながらも少女が眠る隣室を訪ねた。
「――とばり」
声をかけると長い耳がぴくっと動く。白い毛皮に覆われた薄桃の耳は、まだところどころ血が滲んでいた。 光の糸を思わせる睫毛が震えるも、起きる気配はない。前歯に向かってつんっと突き出るような形の上唇がもにゅもにゅと動いた。……寝言か? 試しにもう一度呼びかけた。
「雛……市………さん?」
眠た眼の重い瞼をこじ開ける。
赤い瞳と、ぶつかった。
まったく兎らしいな、と雛市は感心する。真っ赤に染まった眼球は自分のそれと違い、健康的な血の揺れを感じさせる。
「調子はどうだ、とばり」
そう尋ねるや否や少女は飛び起きた。
「どうしましょう! 雛市さんっ」
あぁ、わたしったら! と慌ててばかりいる。
「落ちちゃったんです!」
「知っている」
「異国の地でっ」
「そうだな」
最後はやっぱりぴょんっと跳ねた。
「クビだわっ!」
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