そして、また、秋の風。

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 またひとり、女が涙を零す音がした。新聞屋が気に入りの女の声だ。目がパッチリと大きくて、丸顔の、うさぎみたいな明るい女。友達の歌手の女と、その恋人の音楽家と、いつも楽しい歌を歌って踊っている女が、真っ白なハンカチを顔に押し当てながらこっちにやって来る。 「アタシ、こんなんなら、ロクちゃん、お店に上げたげればよかった」 「きっと病気が治ったらって約束していたのよ。アタシの歌を聴いて、また、アタシたち、踊っているところを絵に描いてくれるって。約束だったのよ」 そんな約束、きっと、ここにいるみんなしていたんだ。あのおさげの看板娘だって、年が明けたら初詣、春になったら一緒にお花見、夏には花火を見に行って、秋には紅葉狩りに行こう、そうして季節を一緒に巡ろう、この先ずっと、何年も、手を取り合って生きていこう、そんな話をしていたのかもしれないのに。 「前に描いてもらった絵にはね、ロクちゃん、署名をしてくれなかったのよ。まだまだ僕は未熟ですからって、ばかね。そんなの。アタシたちみたいな商売は、名前を売らなきゃ始まらないのよって言ったのよ。でも僕は、まだ皆さんに名前を覚えてもらえるような絵描きじゃないのでって。変よね。今日だって、こんなにたくさん、皆さん、来て下すっているじゃないね」     
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