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「では、行ってまいります」
「気をつけて」
お里を送り出した部屋はまた静まり返ってしまう。
(さて、わたくしも準備しなくては…)
お燎は立ち上がり、隣に用意してあった着物を手に取る。
一国を治める家の女ともなれば、生活のすべてを使用人がしてくれるため使用人が手伝ってくれなくなったとき、生活に困ってしまうものだ。しかし、お燎は自分のことは自分でしようと心がけていたため、一人でも着替えくらいはできる。
(誠一郎様…)
誠一郎様と過ごした幸せな日々を思い出す。こうして一人になったときには何度も思い返してしまうのだ。
(あれ…)
愛し合った日々を思い返すことはあっても夢の中ではいつも炎の中で引き裂かれる。今だって目の前に焼き付いた光景は消えることはない。
しかし、今日の夢の中では一つの違和感があった。
(誠一郎様、最後に何か言っていらした…)
柱が倒れてくる寸前、誠一郎様は何かを言っておられた。それは確かである。
では、なんて…
炎に包まれた部屋の中でお燎を説得するために言われた言葉は一言一句すべて覚えているのに、最後の最後、誠一郎様が笑っておっしゃったことが思い出せない。
(なにか、とても大切なことのはずなのに…)
お燎は着付けの手を止めることなく考える。けれど、誠一郎のことを思い出すだけで涙があふれ、肝心の言葉は思い出せない。
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