出会い

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出会い

 森の空気が変わった。  マリアは周囲の木々の様子を観察する。空気が少し湿っぽい。鼻をすんすんと鳴らすと、草の匂いと獣を遠ざけるための芳香に加えて、獣特有のこもった匂いが感じられた。  空を見上げ、大きく背筋を伸ばす。手元の木で編まれたカゴには、赤々とした丸い実が半分ほど入っている。目の前にはマリアよりも低い木があり、精霊が飾りつけでもしたかのように赤い実がランランと光っていた。  ここらが潮時かと、マリアは近くの木に吊るしていた匂い袋を回収し、自分の周りの地面に巻いていた獣よけの豆を拾い上げた。 カバンにしまうと同時に、ポツリと雨粒が頭のてっぺんを弾く。 「これは、雷になるわね」  ますます騒つく森の気配に慎重に気を配りながら、できるかぎりゆっくりとした歩みで村の方へと向かう。今日は少し遠くまで来てしまった。村に戻るのに30分くらいかかるだろう。  そう考えていると、木々の葉が撫でられたかのようにざわりと揺れた。背筋に悪寒が走り、思わず足を止める。  高く細く嘶くような鳴き声をかすかに聞きとると、マリアは身を翻して低い木の裏へと身を潜めた。  風に吹かれる木々の葉のさざめきに、時おり混じる鋭い鳴き声。そして──。 「た、助けてえええ!」  聞こえてきた人間の声に、マリアは木の影からそっと様子を伺う。ものすごい速さで走ってくる青年と、大きな嘴を携え金色にも見える翼を持った大型のモンスターが見える。 「アンデスね。もう寒くなってきたのに、冬支度しなくていいのかしら」  どう見ても追われているような青年が近づいてくるのを見計らって、えいやと草むらに引き込んだ。 「ぶへっ!」  頭から地面に突っ込んだ青年が情けない声をあげる。  マリアは低い木の影に、さらに身を潜めるように体を小さくしてアンデスの様子を覗く。アンデスはその大きさゆえかあまり視野が広くない。普段は、上空から狙いを定めた獲物まで急降下する方法で狩りをするので、こういった追いかけっこには不慣れなはずだ。急にいなくなった獲物を探すのは至難の技だろう。 「い、イタタ」 「あら、ヨシュアじゃない」  ヨシュアは村のガードだ。国から派遣されてくる駐在員で、モンスターから村の人たちを守ったり、村の中の揉め事や困りごとを解決したりする村の守人でもある。  最初こそ自分たちの子どもより若いヨシュアに、不安を感じていた村人たちも、今ではすっかり彼を頼りにしている。  頭の上にかろうじて乗っている帽子は泥を被り、逃げてきた道中で枝にひっかけたのか、制服がところどころ破れていた。頼りの駐在も形無しだ。  幸か不幸か、ヨシュアの左目の眼帯はかろうじて汚れていない。当初つけていた黒い眼帯は、小さい子どもたちに泣かれてしまったからと、今は黄色いチューリップが描かれた白い眼帯をつけている。その眼帯をくれたのが、村の長であるマオ婆で外すこともできずに、ヨシュアは律儀に毎日つけていた。  その眼帯の横で頼りなさげに揺れている右目に、マリアは微笑みを返す。大丈夫よ、と声をかけるようにヨシュアの腕を軽く叩いた。  アンデスは怒りがおさまらないのか、周りを執拗に嗅ぎ回ったり、翼でがむしゃらに叩いたりしている。あたりに潜んでいた小型モンスターが、わらわらと這い出てきては逃げ出していた。 「かわいそうに。アンデスは温厚なモンスターなんだけどね」 「どうやら、寝ているところを起こしてしまったみたいで……」 「まあ。きっと冬眠し始めだったんだわ。いきなり起こされたから、びっくりしたのね」  アンデスは悔しそうに大きな咆哮をあげると、空に舞い上がった。  ゆっくりと木々の上を旋回して、寝床らしき方へと戻っていく。 「次はちゃんと眠れるといいわね」  誰ともなしに言ったマリアの声にヨシュアは頭を掻く。 「すみません。助けていただいて、ありがとうございました」 「それはいいんだけど、ヨシュア何しにきたの?」 「マリアさんを迎えに来たんですよ。マオ婆が、雷様がやってくるから迎えに行った方がいいって。マリアさん、森には入らない約束だったじゃないですか」 「あらまあ。ありがとう。私も帰るところだったのよ。もう遅いみたいだけど」  ポツリポツリと地面を濡らしていた雨粒は、次第に大きく速くなり、あっという間に土砂降りとなった。木々が雨の勢いを和らげてくれているが、それでも止まっていようものなら、すぐにびしょ濡れになってしまうだろう。 「雨宿りできる場所に移動した方がいいわね」  モンスターは雷を恐れてか姿を見せない。逃げ出していた小型のモンスターたちは、どこか別の雨宿りの場所を見つけられたようだ。森はひっそりとしているが、どこか緊張感もはらんでいる。モンスターも気が立っているならば、身を隠した方が良い。  マリアはヨシュアの手を引き、木々が連なる場所を足早に通り抜けていく。まだ青い実が成っている木を通り過ぎ、同じような灰色にも似た色の木が立ち並ぶ間をすり抜け、この雨に自身を踊らせている細い川を飛び越えると、目の前が開けた。 「ほら、ここに入って」  崖のように地面がえぐれたその場所は、上を見上げても地があるのかはわからない。  その下に、大人が3人ほどは入れるであろう大きさの穴倉があった。 「ここは?」  子どもが砂場で遊ぶかのように適当に掘られたのか、いびつな形をした穴倉、その反面、中の地面は丁寧に均されている。入り口こそ低かったが、中はヨシュアが立っても十分な高さがある。  奥には細い通路があり、穴倉というよりは洞穴のように奥に続いているようだ。雨の匂いとあいまって少しカビ臭い。 「去年のツキノワの寝床よ」 「え!」  ヨシュアが恐る恐るあたりを見回す。ツキノワは、牙と手の爪が鋭い黒い毛に覆われたモンスターだ。  熊にも似ているが、頭が賢く器用で、住処を作ることで縄張りを主張している。通常は四足歩行のため、これほど大きな穴倉でなくとも生活できるのだが、大きさで自分の強さを誇示しているらしく、ツキノワが作ったと思われる穴倉はどれも大きい。加えて、食べ物が関係しているのか、同じ住処に1年以上住むことがない。このように抜け殻となった穴倉がいくつもこの森にはある。 「ツキノワが凶暴になるのは発情期だけだから大丈夫よ。それに、ここにはもうツキノワはいないわ」  マリアはカバンからタオルを取り出しヨシュアに渡す。 「そうは言っても、去年も村の人が襲われかけてますよ」  ヨシュアの表情は堅い。  受け取ったタオルで、髪を乱暴に拭きながらヨシュアはさらに言う。 「いくらこの森のモンスターが最弱で、あなたがコントラクターだったとは言え、もう森には入らないでくださいよ」 「コントラクターと言ってもただのヒーラーよ」  コントラクターとはいわゆる傭兵のことだ。モンスターやダンジョンなどで戦う必要がある場合に、その戦いのみを請け負う。依頼人は冒険者や探索隊が多く、村単位での依頼も時にはある。護衛にも似た仕事だが、誰かに付いて歩くのではなく、そこにいるモンスターを狩りに行く傾向が強い。  コントラクターはチームとして戦うため、チーム内での役割がある。マリアはヒーラーを専門としていた。いつも後方にいて支援するだけなので、物理的に強いわけではない。  強いわけではないが、このカナンの森はそもそも肉食のモンスターがいないので、先ほどのヨシュアのようにモンスターを刺激さえしなければ問題がない。それゆえ、モンスター最弱の森と呼ばれている。ごくまれに人間を襲うこともあるが、基本的には大型の動物と変わらない。 「俺もさっき襲われたし、リリアちゃんが真似したらどうするんですか?」 「もう連れてきたことあるわよ」 「それもやめてください!」  ヨシュアが頭を抱えて大きなため息をつく。マリアはうふふと笑う。このやりとりも、もうかれこれ数十回にはなるだろう。  リリアはマリアの愛娘だ。今年で3歳になる。ある程度聞き分けが良くなってきたので、モンスターも気の優しくなる春に、一度だけ連れてきていた。 「遠ざけるよりちゃんと教えた方がいいと思うのよ」  なるべく真剣にヨシュアに伝える。けれど、ヨシュアの顔は、まだしかめ面のままだ。 「わかっていても万が一がありますからね。死んでからでは遅いです」  ヨシュアの言うことも最もだ。そうね、と相槌だけうって話を終わりにした。髪の毛をあらかた拭きおえると、しっとりと水分で重くなったローブを外す。 「まだ、やみそうにないわね」  穴倉の入り口では、崖の上から水が伝わってきているのか、立て板を流れているかのように水が垂直に落ちている。 「少し奥で休みましょうか」  ヨシュアがさらに奥へと進む。穴倉は家と言っても良いほどで、奥に寝室、脇に貯蔵庫のように、複数の部屋に分れていることが多い。 「すごいな。これを一匹で……?」 「ツキノワは、縄張り争いで負けた子たちにも自分の家を作るのを手伝わせるのよ」 「え! そうなんですか?」 「すごいでしょ。終わったら、今度は手伝ってくれたツキノワたちを縄張りから追い出すの」  ヨシュアが感嘆なのか低い声をあげた。 「もう人間みたいですね」 「驚くのは早いわよ。もっと賢いモンスターもいるんだから」  モンスターに詳しいところを見せるといつも奇異の目で見られるが、ヨシュアは人の良さからか素直な性格からか、興味を持って聞いてくれるので、ついつい口が緩んでしまう。 「へえ。ツキノワよりも賢いとか、どんなモンスターですか?」  おそらく寝床であろう部屋を、ヨシュアがゆっくりと見回している。マリアも穴倉の奥まで入ってみるのは初めてだ。モンスターたちを警戒させないように、無駄に散策はしないようにしている。  どこから持ってきたのか、乾燥してすっかり色の抜けた草が、隅に敷き詰められていた。壁はでこぼこと波打っているが、石などの怪我に繋がりそうな突起物などは、丁寧に取り除かれている。奥の方はそこまで湿気が入ってこないのか、土特有の匂いが強い。 「そうねえ。例えば、ドラゴンとか……」  壁に指を滑らせると、思っていた以上に滑らかな手触りがした。ひんやりとした壁と分厚い草の布団。夏も冬も過ごしやすいように考えられている。 「リュク」 「あら、どうしたの?」  しゃっくりみたいな小さな音が聞こえた。ヨシュアを振り返ると、彼はキョトンとした顔で首を横に振っている。口を開きかけるヨシュアを手で制した。 「リュー、ク」  耳をすませると再び聞こえた。弱々しい鳴き声だ。 「ま、まさか、ツキノワ……」 「ツキノワはこんな鳴き声じゃないわね」  ゆっくりと声のする方を見極める。 「リュー」  隅に積まれていた布団がわりの草が、かすかに揺れた。  このような鳴き声のモンスターがいただろうか。  マリアは自身の記憶を探ってみるが、思い当たるモンスターはいない。 「リュク……」  ゆっくりとモンスターを刺激しないように草へと近く。その後ろをヨシュアも腰を屈めてついてくる。  草の前で膝をつき、その姿勢のままゆっくりと草をかきわける。 「まあ」  かき分けたその先には──。 「可愛い赤ちゃん」 「ド、ドラゴンじゃないですか!」  手のひらほどのベビードラゴンが、か細い声を上げて鳴いていた。
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