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マリアの懸念
「おや、マリア、リリア。今、帰りか?」
「おばあちゃん!」
リリアがマオ婆に駆け寄る。頬ずりをし合う二人は本当の祖母と孫のようだ。
「カザミにご飯ごちそうになってたの。今日はリリアを見てくれてありがとう」
「わしはなんもしとらんよ」
マオ婆は、いちご、とーってもおいしかったんだよ、と話すリリアに、そうかそうか、と目を細めている。
外套を着たマオ婆は久しぶりだ。
「でかけてたの?」
「国のお偉方との集会じゃ。最近、モンスターが凶暴化しておるからの。特に何もしてくれんくせに、あーだこーだとうるさいわ」
ピクリと体がはねた。
「どうした?」
「ううん。そんなに多いの? モンスターの凶暴化」
「今までは報告されとらんかった場所のモンスターばかりらしいからな。今のうちに注意喚起じゃと」
マリアは思わず顔を伏せた。
モンスターの凶暴化。
報告されていなかった場所。
「なに、そんな顔をしとる。マリアたちは何も気にせんでええんだぞ」
「ううん。マオ婆は大丈夫だった? またなんか嫌味言われたんじゃないの?」
快活に笑うマオ婆は、周りの村の長と比べるとだいぶ年長者だ。小さな村だが、その年の功を買われて、大きな集会に呼ばれたり、小さな村の長が国王に謁見したりする。
そのことに、周りの大きな村の長や国王の側近が、妬んで嫌がらせすると、カザミが憤っていたことがあった。
「あっはっは。小童どもの嫌味なんぞ、虫の音ほどにも気にならんわ。国王様の前で意見もできぬくせに、子どもが駄々をこねるようなものだ」
否定しないということは、何か言われたのだ。マリアは唇をかむ。
それは、マリアのせいかもしれない。
「おばあちゃん、いたいいたいしちゃったの?」
マリアの顔を見てか、リリアが心配そうにマオ婆を見上げる。
「大丈夫だ。マオ婆はどこも痛くないぞ」
マオ婆の様子を、じーっと見ていたリリアは、精一杯背伸びして、マオ婆の肩をなでる。
「よしよし。いたいのとんでけ! もう、だいじょうぶだよ」
ママも、とリリアがマリアをなでてくれる。小さな手が温かい。
「マリアもリリアも本当に良い子だ。わしはそれだけで、幸せ者だよ」
まだ浮かない顔をしているマリアと、満足そうなリリアに、マオ婆はしわいっぱいの顔をさらにしわくちゃにして笑った。
家に帰るとリリアがイチゴを食べたいとぐずりだした。
「もうねんねの時間だから、また明日食べようね」
「やだ。たべる!」
「あ、こら!」
リリアがマリアの持っているカゴをひっぱった。カゴが手から飛び出し、イチゴが宙を舞う。
ボトボトと床に落ちたときには、リリアの目に涙が溜まっていた。
「あー、リリア落ちちゃったよ。ひろって」
「もういいよ!」
「リリア!」
寝室へと駆け出すリリアにため息をついて、いちごを拾い上げた。ところどころ潰れてしまっている。
マオ婆から聞いた話に、動揺していないと言えば嘘になる。
ことさらゆっくりイチゴを洗い上げると、気合いを入れた。ぐずったリリアの機嫌をなおすのは根気がいる。特にこんなに気分が沈んだ日には。
「リリアー」
ベッドの隅に正座して座ったまま、リリアが口を真一文字に結んでいる。
「リリア。イチゴ、食べたかったね」
「たべるの!」
「でもさ、もうお風呂入って寝るんだよ。これから食べるとお腹痛いいたいになっちゃうよ?」
「なんないもん! こないで!」
近づこうとすると、リリアがバタバタと暴れる。放っておくと落ち着くこともあるけれど、これからお風呂に入れて寝るのを考えると、機嫌を直してほしいところだ。
「明日、食べよう? 約束」
「やだ! ママやだ!」
腕を振り回すリリアに思わずカチンとくる。
「じゃあ、いいよ。ママ、一人でお風呂入るからね」
リリアが布団に顔を埋めてグズグズと泣く。ひとつため息をついて、寝室を出た。
いつのまにか、リリアは眠ってしまったらしい。少しして、寝室を覗くと、布団に顔を埋めたまま寝息を立てていた。
濡れた頬を拭って、毛布をかける。あとで、寝巻きに着替えさせよう。
「こんな日が、あってもいいよね」
リリアの髪をなでる。本当は寝る前に抱きしめてあげたかった。寝ているリリアを抱きしめて囁いた。
「大好きだよ、リリア」
明日はリリアの笑顔が見られるといい。
「それで、そんなに沈んでるのか」
リリアが寝てしまった夜。机に突っ伏しながら、リリアとの話をすると、そんなこともあるさ、とジンが慰めてくれた。
台所で飲み物を用意するジンを横目に見ながら、ヒメギリスの鳴き声を聞く。
いつもより低い音ということは、外の気温が低いということだ。ヒメギリスの鳴き声は、温度によって変わる。
机がヒンヤリとしていて頬が気持ちいい。
「大丈夫だ。リリアもわかってるさ」
「うん。そうなんだけどね。ちょっと考えちゃった」
目の前にカップが置かれる。
湯気が上に登るのが見えて、体を起こした。
今日はホットココアだ。甘さはジンが調整している。
「食べさせちゃえばよかったかなあ」
あんなに食べたかったのなら。
ココアを一口口に含む。ほんのりお腹に染みる甘さと温かさだ。
「寝る前に食べる癖がついても困るからな。そこは親が気をつけてやるってことでいいんじゃないか?」
ジンが目の前に座る。
親が、誰かが決めたものを食べる。
「そうなんだけどね」
本当にそれでよいのか。
マリアは頭を抱える。
「大丈夫かな? 私のせいで、リリアが突然、人を傷つけはじめたりしないかな?」
食べ物を選んで、食べさせる。
自分でできるようになるまで、それが親の務め。だけれど。
「何かあったのか? マリア?」
頭を抱えていた手をジンがギュッと握ってくれる。鋭い目がマリアを心配そうに見る。
大丈夫。大丈夫。そんなことにはならない。
何も言わなくてもジンがそう伝えてくれるのがわかる。
「ジン、さ。最近、モンスターが凶暴化してるって知ってる?」
「ああ。今日もそういう仕事だったからな」
やっぱり。
マリアは思わず顔を覆った。
「どうしよう」
どうしよう。どうしよう。
「どうした? マリア?」
思い出すのは、高笑いと黒い尻尾。
「ジン。それ、私のせいかもしれないの」
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