第三章

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 それまで危うい均衡の上でようやく保たれていたものが、あっけなく壊れてどうしようもなく溢れ出そうとするのが、美咲の顔の上にありありと見える。大輔はそこからあえて目をそらすまいと思った。 「そうかもしれない。だけど、それはあくまで君の十年だ。僕のじゃない」  ついに美咲の瞳から涙が流れた。美咲は力なく項垂れて、肩を震わせながらいつ尽きるとも知らない涙を拭い続ける。大輔は嘆息をかろうじて留めたけれど、脳裏でいたいけに泣く幼い美咲の姿が閃くのまでは止められなかった。あんなにも扇情的な笑みを覚えたのに、どうして泣き方だけは変わらないのだと、呆れて問うてみたくなる。  大輔が頬に触れると、美咲は何の躊躇いもなくその手のひらに頬を預けた。指で涙を拭ってはみるものの、とめどなく溢れるばかりでどうすることもできない。それで大輔は、美咲に求められるままに胸元に招き寄せた。  布一枚に隔てられたばかりの身体の熱やまろみを帯びた弾力は驚くほど間近に感じられたけれども、大輔のシャツを掴む美咲の手はもはや何かを惑わすほどの余裕がなかった。美咲はただただしがみつき、どうしようもなく遠く隔てられたものを嘆いて泣き続ける。大輔は、美咲がシャツを涙で濡らすのも、首筋に熱い頬を押し当てるのも、されるがままになっていた。それで、昔そうしていたように、ひたすらに背を撫で続けた。美咲が心の底では、そんな童女をあやすようなことではなく、もっと別のものを望んでいることはよくわかっていたけれど、それ以外にしてやれることなどはなかった。  ねえ、と苦しげな嗚咽の中で、美咲は問いかける。
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