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美咲の母と大輔の母は、生まれも育ちも東京でありながら、それぞれの夫の職業柄転勤を免れず、転勤先のひとつだった神戸に、子供の教育のために腰を下ろしたところで共通していた。
さほど性格が似通っていたわけでもなく、大輔の母親の方が六歳も年長だったにも関わらず、偶然同じマンションに住まい、自分と同じ出身で、単身赴任中の夫を持つ女性同士ということで、二人は格別親しく付き合うようになる。
美咲は、初めて大輔に会った日のことを覚えていない。気が付けば美咲の思い出のなかには、自分よりも十歳年上の少年がいた。
いつも本を読んでいる少年だった。美咲とその母が家を尋ねに行っても、その頃の大輔は十代の少年らしく、母親同士の交流などは気にもかけず、自分の部屋に籠って本を読んでいるのが常だった。あるとき美咲は、談笑する母親たちから離れて、一人少年のところへ行ってみた。ドアを開けて顔を覗かせた美咲に大輔は振り返り、珍しいものを見た顔をする。何をしているの、と美咲は尋ねた。本を読んでいるんだよ、と大輔は答えた。少し興味が湧いて、机の方まで近づき机の縁に手をついて伸び上って覗き込んだ。その本は、美咲の目には珍しい文庫本で、絵などなくて文字ばかり。面白いの? と見上げた美咲に、大輔は少し笑って面白いよ、と答える。どういう風に、と尋ねれば、少し考え込んでやがて大輔は話し始めた。
それは、何の話だっただろう。何でも読む人で、その話も時々で多岐にわたったものだから、それぞれの話をいつ聞いたものなのか、よく思い出せない。けれども、ただの文字の羅列にしか過ぎなかったものたちは、大輔の口を通せばとたんに鮮やかに色づいて活き活きとしたものになった。背伸びをして本を覗き込んでいた美咲は、いつしか大輔の膝の上にいた。そこで美咲は、無味乾燥とした文章がたいそう面白い話として語られてゆくのを、驚きながら聞いていた。
初めて会ったのがいつかは、覚えていない。美咲にとっては、その本の内容を聞いたあの日が、初めての出会いだ。
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