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美咲は、あの笑みを昔見たことがある。ついぞ自分へは向けられることがなく、それゆえに打ちひしがれて、いまも絶えず求めているものだ。少年だったのだ、と唐突に思った。大輔も一人の少年であり、年相応の憧れや欲望をきっと秘めていた。美咲にとっては未知なるもの、こちらから手を伸ばさなければ、決して触れられないそれが、いま目の前にある。そのときの美咲は、あの少女と大輔がどういう風に出会ったのか、はっきりと思い描けるような気すらした。
鏡の中の自分を、思い出していた。溌剌と明るい笑みを浮かべる幼い女の子は、たった一つの激しく辛い物思いを胸に抱いて、聡明な人の後を追いかけるうちに、鏡像の顔はだんだんと無邪気な光を消してゆき、かわりに冴え冴えとした理知的な輝きが備わった。それは、人と親しむにはいささか冷たすぎる。けれども、ひとたび微笑めば、甘やかな華が現れるのだ。
それを思い出しながら、美咲は再び視線が出会った時に、彼へと微笑んで見せた。善也という名前だった。
一種のゲームだった。異性との交際は初めてだったけれども、それくらい美咲はすぐにわかった。善也は驚くくらい純粋に美咲を恋慕い、夢中になった。そんな彼を、喜ばせたり、やきもきさせたりしながら、美咲は温度差を感じていた。全部わかるのだ。いつ笑えばいいのか、目を合わせまたはそらせばいいのか。それに対する彼の反応も。何故かは知らない。
美咲はその気になれば、ぎりぎりのところまで善也を駆り立てることができた。何度かは、善也の一途さに心打たれて、応えるつもりでそうしたこともある。しかし、記憶の中の大輔とは、あまりにもかけ離れていた。それは思いの分だけ毎日美化されて、現実に目の前にいる人と比べるのはとても酷だと頭ではわかってはいるけれど、どうしようもない。
美咲は、傍目には甘い時間を過ごしながら、こう誘えばこうなるのかと新たに学び、それは大輔にも通用するのだろうかと、そればかりを考えていた。ほどなくして、善也の方がそのことに気付く。つまるところ、彼は彼でじゅうぶん賢く聡い人間だったのだ。それで善也は初めて、自ら仕掛けた。
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