5.KHM141

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

5.KHM141

 夕暮れ時、私は学校からの帰り道の人気の無い住宅街を制服姿でとぼとぼ歩いていた。  私はいつも悩んでいた。子どもの頃から心配性で臆病で、いつもうじうじしている自分が好きになれない。  高校に入ってからもその性格は治らなかった。だから友達付き合いも、誰かの後ろをついてまわるような付き合い方しかできなかった。ひとたび意見の食い違いが起きれば、私はごめんねと言いながら相手の意見を通す、踏まれっぱなしのドアマットみたいな態度しかとれなかった。  今日、授業で共同レポートの発表があった。私のグループの一人の子が事情があって授業に出られなくてレポート作業ができなかった。だから私がその子の部分の大半をやった。何となくグループの中で私がやるみたいな流れになって、たぶん押し付けられたんだと思う。  別に、押し付けられたことは気にしてない。いつものことだから。でもその発表で私の部分は良い評価を得られなかった。そのかわり、休んだ子が少しだけやった部分が良い評価を貰っていた。 悔しかった。不平等だと思った。納得いかなかった。  でもそれ以上に強く思ったのは、『しょうがない』という思いだった。  どうせ私はこんなものなのだ。こんな大したことない出来事でこんな悲しい気持ちになるなんて、私が弱いからなのだ。私はまた悲しくなってきた。  でも、そんな風に落ち込んでいる私を慰めてくれる存在もあった。 「ああ、とても深い池にいる兄さん、私の心はどんなに悲しいか」 「高いところの妹よ、この池にいて僕の心はどんなに悲しいことだろう」  私の肩の辺りにぬいぐるみみたいな小羊がふわふわと漂い、足元にうろこが光る小魚がすいすい泳いでいる。  これは、私にしか見えない姿と私にしか聴こえない声だった。子どものころから現れていて、私だけの友達だった。友達と言ってもこの二匹はお互いに二言三言会話するだけで、私に話しかけてはくれない。それでも彼らを友達と呼ぶのは彼らが私の心を代弁してくれるからだ。  私が落ち込んだり、悩んだり、悲しんだりしている時、彼らは現れて一緒に落ち込んだり、悩んだり、悲しんだりしてくれる。嬉しい時や楽しい時は出てこないけど、それでもよかった。辛いことを分かち合ってくれるものがいる。それが私の心の慰めになった。  気がついたら、目の前に女の子が立っていた。  派手じゃないけど上品な黒いドレスを着た、とてもきれいな女の子だった。 「あなた、良い物語の解釈をするのね」  女の子は唐突にわけのわからないことを言った。だけどその時私は直感した。この女の子は小羊と小魚のことを言っている。 「それは物語の本来の役目。人の心に宿り、人の心に安らぎを与え、人と共に生きて行く物語の」  女の子の言葉を私はなぜか真剣に聞かなくちゃいけない気がした。 「でも、あなたの物語は少し強すぎる。あなたの解釈は素晴らしいけれど、一歩間違えれば危険なモノにもなりかねない。他の物語を引き寄せるかも知れない。だから………」  女の子の後ろから、男の子が出てきて私の目の前に立つ。 「私たちに預からせて貰うわ」  男の子が手を差し出した。その手にはいつのまにか黄金の鍵が握られていた。まるで男の子の手の中から産まれたような、そんな出現の仕方だった。男の子が私と男の子の中間くらいに、差し込むように鍵を突き出して、回した。がちゃり、と音がした。  その瞬間、私の心から何かが取り出されたような感覚があった。小羊と小魚が光の粒子になってさらさらと消えてゆく。 「それじゃ、行きましょう。……さようなら」  女の子と男の子が去って行く。私は慌てて呼び止めた。 「待って!」  二人が足を止め振り向いた。私は悲痛な思いで叫んだ。 「私にはその子たちが必要なの!だから、どうか連れて行かないで!」  女の子は静かに言った。 「……誰でも悩むような悩みというのは、逆に言えば誰もが乗り越えられない壁ということ。あなたは悩んでいることを恥じているようだけど、それは違うわ。それにこの子たちは元々あなたの心の中にあった強さが形を変えて現れただけ。物語がなくなっても、その物語の思いや物語から得たものは決してなくならないの。だから……、私たちはこの子たちを持っていくわ」  女の子と男の子は前を向いて歩き出した。そして二度と振り返らずに歩いて私の視界から消えた。  私は追うことも出来ずに呆然と立ち尽くしていた。  私は大切なモノを失った。一体これからどうやって生きて行けば良いのだろう………。  その時、私の心の中に蘇るものがあった。それは、小羊と小魚が出てくる絵本を読んでもらった子どもの頃の思い出だった。  私は気がついたら泣いていた。次から次へと涙が溢れて止まらなかった。  どうして忘れていたんだろう。あの子たちは私の心の内にずっといたのだ。  私は、涙のあとがひくまで家に帰れないな、なんて考えながらその場で泣き続けた。 ―――――  KHMを回収した球姫と建瑠は家に帰るため街中を歩いていた。 「今の人、KHMを回収しちゃって良かったのかな」  建瑠が話を振る。 「そうね、語り主は貴重ではあるけど彼女は戦える器ではなかったわ」 「いや、それもあるけど心のよりどころにしてたみたいだったから、大丈夫かなって」 「KHMの能力はその語り主の心の反映。だから彼女の心は能力がなくなっても大丈夫よ」 「そういうものか」  建瑠はふと、気になった事を聞いてみた。 「そういえば僕の能力は戦いに向いてるとは思えないんだけど、回収はしなくていいのかな?」  以前の戦いで目覚めた建瑠の能力は、機関の病院で確かめられた。それは、鍵としてあらゆるものを開け、その中身を取り出す事のできるという能力だった。 「……あなたの能力は貴重なものよ。それに、王には王の、料理人には料理人の能力があるように、能力の強さは関係ないわ。戦い以外でも役に立つことが重要なのよ」  建瑠は、球姫が戦わなくても良いことを強調しているような気がした。 「だから、KHMに触れて能力に目覚めた今、あなたは今回みたいに私のサポートに回りなさい。……もう戦いの場に出なくてもいいわ」  球姫の言葉は建瑠を突き放すような言い方だった。建瑠は球姫の言葉に動揺した。思わず立ち止まる。 「ちょっと待ってよ。球姫が僕を誘ったのは戦う力が欲しかったからなんだろ?それに能力の強さは関係ないって言ったじゃないか。僕の能力でもやりようによっては戦うこともできるはずだよ!」  建瑠はすがるように言葉を紡いだ。 「私は!」  球姫が強く言った。そして建瑠の目を見た。 「あなたに傷ついて欲しくない!」  建瑠は球姫がこんなに声を荒げるのを見たことがなかった。  球姫はその場を走り去ってしまった。建瑠はその場に残され一人で立っていた。 ――――― 「いやー、全治一ヶ月ってとこですね。面目無い」 「いえ、僕ももっと早く敵の狙いに気づいていれば良かったんですが…」 「建瑠君はよくやりましたよ。気に病む事はないです」  翌日建瑠は病院にいた。峰場の病室は個室で他の人間に話を聞かれる心配はない。  搬送された時、建瑠も球姫も峰場を心配したのだが、その時峰場が、 「私のことは気にしないでください。自分のミスですから。球姫様は自分のやるべきことを優先してください」 と言ったので二人とも見舞いには来ていなかった。 「それで、わざわざ来たという事は何か話があって来たんですね」  その通りだった。建瑠は峰場に聞くべき事があってここまで来たのだった。 「何でもいいんです。球姫のことを教えてください」 「……本気みたいですね。じゃあ、とっておきのを話します。でも、一つお願いがあります。この話を聞いたとき、機関(ヌル)のことを軽蔑しても、受け入れてやってください」 「………どういう意味ですか?」 「聞けばわかります」  峰場は語り始めた。 「私が初めて球姫様に出会ったのは、私が十歳の時でした。私の家は代々魔の者と戦ってきた家系で、私が十歳でKHMをその身に宿したので機関(ヌル)に協力することになったのです。その時球姫様は十四歳で、今と変わらず幼い私に優しく接してくれました。私は球姫様に教えられ、KHMの能力を開花させました。  ところでKHMその身に宿しやすい、力を発揮しやすい条件はなんだかわかりますか?」  建瑠は首を横に振る。 「KHMはある兄弟が蒐集した物語群ですが、その元々の語り主の大半は女性だったそうです。昔に聞かされた物語は、少女だった彼女たちの感性にあっていて、それを大人になってまた少女に語る。そうして連綿と物語が紡がれてきました。  つまり、KHMは少女性を持っている者に宿りやすく、また強い力を発揮しやすいのです。KHMの封印が弱まり、物語が脅威になり始めた頃、機関(ヌル)の者は考えました。語り主は戦力になるが貴重で、語り主自身が戦いに向いているとも限らない。だったら、『そういうもの』を科学と魔術の両方を駆使して人工的に作ってしまえばいい、と。それが今の球姫様です。  よくフィクションで、心を持たない戦闘マシーンの悲哀だとか、普通の少女が突如として戦いに巻き込まれて苦悩する、とかがありますが、球姫様はそのどちらでもありませんでした。  聞いた話では、まず最初に素体の記憶をすべて消します。そして、戦うための戦闘データと、ごく平均的な少女が持つ幸せや悩みなどの記憶を流し込みます。そうすることで戦いに向いた語り主と、強い力を持ったKHMが出来上がるのです。そして、精神が成長したり時代が変わったりして少女性が失われた時、KHMの知識や機関(ヌル)関係の事など必要な記憶を残してリセットされます。 肉体も同じです。  私の知る限り、球姫様は半世紀以上は前からリセットを繰り返し生き続けています。  球姫様は少女としての幸せな記憶を持っています。それは家族との暖かな思い出だったり、日常の些細な悩みだったりします。でも、それらが造られた偽物であることも、球姫様自身が分かっているのです。 分かった上で、戦うために必要だからと受け入れているのです。  ……ところで、建瑠君は球姫様と出会ってからどれぐらい経ったか覚えていますか?」 「……三週間くらいですね」 「じゃあ、球姫様がKHMと戦い始めてどれくらい経ったと思いますか?」 「見当もつきません」 「三週間です」 「…………え?」 「三週間前、あなたを救うために戦ったのが球姫さまの初陣です。  KHMは世界中に広まっています。しかし、それらが出現する国や地域は時代によって偏りがあります。球姫様はこの国の地域で活動するために産み出された素体です。そして最近になってこの地域でのKHMの活動が活発になったので、球姫様が出てきているのです。それまでは、球姫様は機関(ヌル)の施設で訓練と調整を行うだけの毎日を過ごしてきました。だから、こうして外に出ることは、球姫様の人生の中で初めてのことなのです。もちろん、建瑠君のような男の子と出会うことも」  そこまで話して峰場は語りを区切る。  何かを言わなければ、建瑠はそう思ったが何も言えなかった。 「私は球姫様と建瑠君が出会ったのは何か意味があるんじゃないかと思うんです。私には球姫様が苦しんでいるのかどうかすらわからなかった。でも、いままでのお二人を見ていると、建瑠君なら球姫様に何かをしてあげられるんじゃないかって思うんです」 「でも、僕の能力は球姫の助けになるものなんでしょうか。僕は、一体何をすれば良いんでしょうか」  峰場が優しく微笑む。 「建瑠君は球姫様を助けたいと思っているんでしょう?そう想い続ける限り、物語は続きます。 だから、きっと、だいじょぶです」  建瑠はじっと自分の手を見た。自分にKHM(物語)があるのなら、彼女にとってのハッピーエンドになる物語がいいと思った。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!