0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
2.KHM174
人の願いがまだ叶っていた昔ほどでもない昔、二百年ほど前にある兄弟がいました。その兄弟は人々の精神や心は彼らに語り継がれる物語の中にこそあると考え、国中から物語を集めていました。物語は人生の素晴らしさや美しさを見せる物から、恐ろしさや残酷さを見せる物まで様々な物語が揃いました。兄弟は、それらをKHMと呼びました。
しかし、兄弟は気付きました、物語の裏に魔の者たちの影があることを。魔の者たちは古い昔から人々の心の隙につけ込んで悪事を働かせたり、人々に危害を加えたりしていたのですが、普通の人々に魔の者を見る事は出来ませんでした。見る事は出来ませんが、語り継がれる物語の中で人々は無意識のうちに魔の者を語っていたのです。
これを知った兄弟は物語の中に魔の者を封印することを考えました。少し手を加え、本にして広めることで物語は封印としての役割を果たします。それらの物語は表向きにはお伽話として愛され読み継がれていきました。こうして魔の者達の悪意から逃れた人間の世界は繁栄しました。
しかし長い年月が経ち、人々の生活が変わり心も時代とともに変わっていくと、封印にほころびが出始めます。それで力を少し取り戻した魔の者たちは、封印を逆手に取りました。封印に縛られているのなら、それに沿った形で悪意ある行為を為そうと言うのです。魔の者達は物語を現実に引き起こしました。物語には良い面も悪い面もありましたが、恐ろしい残酷な面だけをこの世界に持ち込んでいるのです。
しかし、魔の者の存在を知る人々も黙って見ているだけではありませんでした。魔の者に対抗して物語の良い面を現実に引き起こせる者たちが現れ始めました。彼らは『語り主』と呼ばれ、彼らを中心に封印を破った魔の者に対抗する機関が作られました。
それは、KHMを殺す零番目のKHM。その名は………。
「………その名はKHM0、私の所属している機関よ」
少女は長い語りをそこで区切ると手元のティーカップを持ち上げゆっくりと紅茶を飲んだ。
「ここまでで何か聞きたいことはあるかしら?」
「あるよ」
「何かしら?」
「君の名前をまだ聞いてない」
「あら」
ここは建瑠の家のリビングだった。あの戦いの後少女は、
「久しぶりに暴れて喉が渇いたわ。命の恩人にお茶をご馳走してもばちは当たらないと思うけど?」
と言って半ば強引に建瑠の家に押しかけて紅茶を飲みながら長い話を語ったのだ。建瑠としては事情を知ることができてありがた半分、何か面倒ごとに巻き込まれそうで迷惑半分といった複雑な心境だった。
「ごめんなさい。私としたことがついうっかりしていたわ。錠球姫よ。球姫って呼んでいいわ」
「じゃあ球姫ちゃん」
「あら、年上にちゃん付けは無いんじゃない?」
「年上って、いくつなのさ」
「十四よ。だからちゃん付けはやめてね」
「二つしか違わないよ。それでさん付けしろって言うの?」
「別にそんなことする必要はないわ。呼び捨てでいいわよ」
「………」
球姫はにこにこと笑っている。
「…じゃあ、球姫」
「はい。なぁに?」
「君がここに来た目的を話してよ。君の態度を見てると、僕の命を助けることだけが目的だとは思えない」
「なかなか鋭いわね。そう、私はあなたを誘いに来たの。言うなればスカウトよ。
建瑠、あなたにはKHMが宿っているわ。自覚は無いだろうけど。私たちは戦力になる語り主を探しているの」
建瑠は自分を襲ってきた異形の者の姿を思い出した。
「それって、僕の中にさっきの化け物みたいなのがいるってこと?信じられないよ」
「化け物とはひどいわ、私もあなたを守るために必死だったのに………」
球姫は目を潤ませ、うつむき、しょんぼりと落ち込んでしまった。建瑠はそれを見てしまったと思った。そして慌てて弁明した。
「ち、違うよ。化け物って言ったのは僕を襲ってきたやつらのことで、球姫のことはそんな風に思ってない。それに助けてもらったことも感謝して………」
そこまで言って、建瑠は話すのを止めた。球姫の様子がおかしい。肩を震わせ、何かを堪えている。そして次第にくつくつと声を漏らして笑い出した。
「ああっ!」
建瑠はようやく理解した。からかわれていたのだ。
「あははっ!ダメじゃないそんな簡単に引っかかっちゃ。泣き落としの作戦が、笑うのをガマンできなくて失敗しちゃったわ!」
ひどい言い草である。
「悪かったね単純で」
「そんな拗ねないの。でも私はそういう素直な人好きよ」
建瑠は好きという球姫の言葉を聞いて狼狽えた。しかし、またからかわれてなるものかと平静を装った。
「で、話を戻すけど」
球姫が元の調子に戻って話す。
「化け物があなたの中にいるかという問いにはイエスともノーとも言えるわ」
「どういうこと?」
「あれは悪いものが物語の悪い面を拡大解釈した結果なの。あなたが自分に宿ったKHMをどういう風に解釈するかによって、発現する現象は変わるわ」
「解釈する?現象?」
建瑠は少し混乱してきた。今日起こったことは間違いなく現実だったが、説明される情報量が多すぎて頭がパンクしそうだった。
「ごめんなさい、ちょっと急ぎ過ぎたわね。
でも、これだけは覚えていて。あなたの中には未知の力が眠っている。それはあなたやあなたの周りの人たちにとって毒にも薬にもなるものよ。そして私たちはそれを制御するすべを与えられる。機関に加わることを考えておいて」
建瑠は悩んだ。このままでいれば、自分もあの化け物たちと同じものを生み出す存在になってしまうかも知れないらしい。しかし機関とやらに入ればさっきの化け物たちと積極的に関わることになるだろう。どちらが良いのか建瑠には結論が出なかった。
「……そんなこと、分からない。僕には決められないよ。話が急過ぎる」
「じゃあ時間があれば決められるの?」
「それも分からない。とにかく、今は決められない」
「……ふむ」
球姫が腕を組んで何か考え始めた。そして何か思いついたのか、建瑠を見てにぃっと笑った。びっ!と建瑠に人差し指を向けて言い放つ。
「あなた、私の弟子になりなさい」
「えっ?」
「それで私の仕事をそばで見るのよ。そうすればあなたにKHMの制御を教えることができるし、KHMへの理解も深まり、私も人手が増えるわ。一石三鳥ね。そうと決まれば」
話についていけない建瑠をよそに球姫は立ち上がり、玄関まで歩いていく。建瑠もなんとなくついていく。
「峰場!」
球姫が玄関のドアに向かって叫んだ。するとドアが開き、
「はい、なんでしょう」
当然のように若い女性が顔を出した。黒いスーツを着てSPのような格好である。
「この部屋の隣を徴収するわ。今すぐやりなさい」
「そういうことすると、また上から予算がーって言われますよ」
「いいから」
そう言って二人は外の廊下に出て行った。建瑠も気になってついていく。
外に出ると峰場と呼ばれた女性が隣のインターホンを鳴らしていた。程なくして住人の女性が出てくる。
ドアが開いた瞬間、峰場は手のひらから何かを生み出して部屋の中に投げ入れた。それはフクロウのような生き物で、椅子の背もたれに留まってほーぅと鳴いた。
「どちら様ですか?」
「ちょっと部屋の中を見てみてください」
「?」
住人の女性が振り向くと、みるみるうちに顔が青くなって悲鳴をあげた。
「部屋の中に怪物がいる!」
建瑠が部屋の中をのぞいても、そこにいるのはフクロウ一匹だけだった。しかしそのフクロウを見つめているとなんだかザワザワと落ち着かない気持ちになってきて、建瑠は慌てて目を逸らした。
「こんな所には居られない!」
そう言うと女性は取るものもとりあえず飛び出して行って戻って来なかった。
建瑠があっけにとられて峰場を見ると彼女と目があった。
「ああ、だいじょぶです。手続きは後でやっときますんで。あと彼女にもここよりいい部屋があてがわれます」
そういう問題か、と建瑠は思ったがつっこまなかった。
「兎に角住処はできたわ」
球姫が自慢げに建瑠に告げる。
「明日から弟子として働いてもらうからね」
建瑠はもう流れに身をまかせるしかなかった。
最初のコメントを投稿しよう!