1.KHM001

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

1.KHM001

「報告します」  暗い部屋の中で声は言った。若い女の声だった。 「最初の被害者は一人暮らしの会社員の男性でした。ある日から突然会社に来なくなり連絡も付かなくなったのを不審に思った同僚がアパートを訪ねて死体を発見しています。発見時の状況から現場は密室でした。死因は絞殺で、小さな両手の痕が残っていたそうです」  部屋の明かりは窓からの月灯り、それも曇った月からの淡い光だけだった。それに照らされて部屋の中に二人の人間が見える。一人は立って話している黒いスーツを着た若い女。もう一人はソファに深く座っており、姿は影に隠れて見えない。 「次の被害者は大学生の女性です。繁華街の路地裏で倒れて死んでいるところを通行人が発見しています。衣服は身につけておらず全ての荷物が現場から無くなっていました。乱暴された形跡は無く、真冬の夜中だった事もあってか死因は凍死でした」  女が話す以外に部屋の中に動きは無い。女は続ける。 「そして最後の被害者ですが……六歳の男の子です。夕暮れ時の公園で、一緒にいた親や友達が目を離した隙に居なくなって次に発見された時には死んでいたそうです。死因は刺殺で、喉をひと突きされていました」 「それで、わざわざ報告するということは……『あった』のね?」  そこで初めてもう一人が声を発した。女よりもさらに若い、少女と言ってもいい声だ。しかしその声色には貫禄と年季を感じさせる大人びた声だった。 「はい、確認しました。最初の事件では銅貨を床下に二枚、次の事件では銀貨を被害者の体の上に山盛りに、最後の事件では金貨を一枚と食べかすのリンゴの芯を一本見つけています。これは間違いないかと……」 「ええ、間違いなくKHM(カーハーエム)現象の一端ね」  少女の声から嬉しそうな、ニヤリと笑う気配がした。少女は続ける。 「そして、これだけKHMが集まっているならそこに間違いなくいるわ。KHMをその身に宿せるだけの器が」  少女は上機嫌に歌い上げるように話す。 「これは私の出る幕ね…。そう、この私の……」  ふいに雲が晴れ月が顔を出しその光が部屋の中を照らして少女の顔を明らかにする。 「…KHM001(カーハーエムアインス)の出番ね」  あらわになったのは見目麗しい少女だった。 ―――――  金子建瑠(たつる)の周囲では最近物騒な事件が連続して起こっていた。そのどれもが殺人だとか、幼い子どもも犠牲になったとかで、建瑠の通う小学校でも生徒に連日のように注意喚起していた。 (でも、学校休みになったりはしないんだよなぁ)  建瑠は学校からの帰り道、ランドセルを背負ってそんな事を考えていた。  一見すればただの危機感の無いのんきな男子小学生でしか無い。しかし、建瑠は普通の子どもとは少し違った。 (もし学校が休みになるとしたら、どれだけのものが天秤に乗れば良いんだろうか?  大人や先生は最近危ないからあなたたちも気をつけなさい、って言っているけどそんなちょっと子どもが気をつけたくらいで殺人犯に対抗できるか?本気でそう思ってるのか?  きっと大人も何をしなくちゃならないかよくわかっていないんだ。でも大人だからわからなくても何かをしなくちゃいけなくて、それで気をつけろって言って大丈夫だって思うしか無いんだ。  でもそれも大人が無責任なだけじゃなくて、本当はみんなのこの不安の元を取り除いてしまいたいのだろうけど、それは危なそうなヤツを全部捕まえるとか、子ども全員に見張りをつけるとかそんな現実味の無い、苦労に見合わない、費用対効果がないっていうことなんだろう。  だから大人が僕たちに口うるさく色々言うのも、大人には大人の理屈があって、決して理不尽なだけではないんだろうな)  と、そんな小賢しいとも大人びたとも言えない、なんとも奇妙なことを考える、建瑠はそんな子どもだった。  そんなことをいつも考えているわけでもなく、考えていても表には出さないので、友達からも浮いたりせずちょっと変わったやつくらいの印象を持たれていた。  変わったやつ、というのは正しい評価で今日も長く考えこんでいたので建瑠は気が付いたら家のドアの前にいた。マンションの入り口のパネルもエレベーターも無意識のうちに操作していたらしい。  そんなことを気にすることもなく建瑠は鍵を取り出した。両親ともに仕事で遅くなる事が多いので持たされている。鍵穴に差し込んで回し、ドアを開く。  建瑠はふと、ちょっとした違和感を感じた。最初は親のどちらかが帰っているのかと思った。部屋の奥から気配がしている。しかし靴が無い。  建瑠は嫌な予感がした。しかしだからといって気配の正体を確かめないわけにもいかず、とりあえず靴を履いたまま上がってリビングを見た。  そこに『それ』は居た。  体格は子どもくらい、全身白一色で輪郭が淡くぼんやりしている。人型だったが明らかに人ではない。  顔の部分は何か凸凹(でこぼこ)した穴や濃淡があるが、それが目や鼻や口だと気づくのに少しかかった。  そしてそいつはうずくまり手を動かして一心不乱に床を掻いている。かりかりかりかりと永遠と掻き続けている。 かりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかり………… 「……ひっ………」  思わず声が出た。とっさにまずいと思ったが遅かった。  それがぴたと動きを止めた。ゆっくりと、表情の判別が難しい顔をこちらに向けた。眼孔は何も入っていない虚空で、口のような穴からは悲鳴のような唸り声が出ているのがかすかに聞き取れる。  建瑠はもう、それと目を合わせる前に脱兎のごとく逃げ出した。靴を履いたままで正解だった。 「おおおおぉぉぉお!」  後ろから叫び声がする。さっき奴が追って来ている。建瑠はドアを飛び出し、後ろ手に閉めてマンションの廊下を階段に向かって走り出した。  建瑠は混乱していた。普通自分の家に見知らぬ人がいたなら警察に通報するのが一番だろう。しかし、あんなものがいたとなれば通報しても信じてもらえるのか。そもそも警察で対処できるものなのか。何一つ分からないまま建瑠は逃げるしかなかった。  建瑠は廊下の先に人が立っているのを見た。助けを求めるべきか異常を知らせるべきか迷っていたら、その人物は異様な行動を取り始めた。 「その足を被うものを寄こせ!」  そう言うと建瑠の足に飛びついてきた。 「なっ………!!」  よく見るとその人物は昔話に出てくるような物乞いの格好をしていて裸足だった。 「や、やめて!離して!」  物乞いは恐ろしい力で建瑠の足を掴んでいる。  その時逃げてきた方の廊下に白い影が立っているのが見えた。 「ぅおおおおおおぉぉぉぉぉおお!!」  明らかに敵意を見せながら、無茶苦茶な足取りでこちらに迫ってくる。 「くそっ!」  建瑠は靴を脱ぎ捨てた。物乞いは靴の方に飛びつき、白い影の進路を塞いだ。建瑠は廊下を走り、階段までたどり着くと二段飛ばしで駆け降りた。裸足で足が痛かったが、白い影や物乞いに捕まったら何をされるかと思うと恐ろしくて足が止まらなかった。  そうして建瑠は一階のエレベーターホールまで来た。ここをぬければもうすぐ管理人室だ。そこで助けを呼んでもらえる………そう思っていたのだが。  目の前に子どもがいた。五、六歳くらいの男の子だ。だが手には大きなナイフを持ち、ナイフからは真っ赤な血が滴っていた。そして血走った目を飛び出さんばかりにぎょろぎょろと動かして、建瑠を見ると不気味な笑みを浮かべる。 「けきゃきゃきゃ……!」  奇妙な笑い声を上げ、ナイフを振り回しながら建瑠に迫って来る。後ろからは白い影の雄叫びが聞こえてくる。追いつかれていた。  もう逃げられない。その事実が分かった時、建瑠は絶望した。 「けきゃきゃきゃ……!さァ、屠殺ごっこしようよォ!」  子どもが人間とは思えない脚力で跳び上がってナイフを突き出す。 (もうだめだ…………!)  建瑠は目をつぶった。そしてナイフが建瑠の体を切り裂かれるかと思われたその時、  きぃん!  と金属音がして、建瑠の体には何事も起こらなかった。  建瑠は恐る恐る目を開けた。するとそこには少女が立っている。驚いたことに手のひらでナイフを受け止めていた。  そして力を込めてナイフごと子どもを弾き飛ばすと子どもは転がっていった。  少女が振り返って建瑠をまっすぐに見た。  それは、見目麗しい少女だった。年の頃は建瑠より少し上で、派手ではないが上品なドレスを着て、その長い睫毛をたたえたまぶたで瞬きしなければ人形と見間違う程の美しさだった。建瑠は少女から目が離せなかった。 「なるほど…あなた、まだ目覚めていないのね」  少女が口を開いた。 「だったらいいわ。少しそこで見学していなさい」  子どもが起き上がってこちらに向かって来る。後ろを見ると白い影と物乞いが追いついてきていた。建瑠と少女は囲まれていた。 「はん!語り主も見つけられない雑魚風情が舐めないでほしいわね!」  少女が吠えるとそれが合図になったかのように白い影が跳びかかって来た。  少女が手を横に振った。すると少女の手のひらから金の鎖が勢いよく生えてきて、ムチのようにしなって白い影を打った。ばしっ!と音がして白い影は真っ二つになり断末魔の叫びを上げながら塵になって消えた。 「その鎖をよこせぇぇ!!」  次は物乞いが跳びかかって来て、鎖を両手で掴んだ。少女は鎖を掴まれると手のひらから切り離して体制を崩す事を防いだ。鎖を奪った物乞いが鎖で打ち掛かってくる。少女が構える。 「ハインリヒッ!!」  少女が叫んで少女の体がブレたように二重になったかと思うと、そのブレが少女から離れて膨らみ、大男に一瞬で変わった。その大男は全身を鎧で着込んで突撃槍を持っていた。不思議なことに地面に足をつけることなく浮いていて、少女に寄り添うような立ち姿だった。 「行きなさい!」  少女が手を振るうと同時に大男が槍で突きを繰り出す。一振りで物乞いは串刺しになり、塵になって消えていった。  少女は振り返って子どもを睨む。子どもは一瞬怯んだがすぐにこちらに向かって飛び込んで来た。  大男が槍を振るう。しかし子どもは紙一重で回避し少女に斬りかかる。少女落ち着いては手から鎖を放った。その鎖は子どもに命中し、そのまま流れるように巻き付き縛り上げる。 「けきゃっ!?」  奇妙な悲鳴をあげながら子どもはホールの柱に叩きつけられ、鎖が柱にも巻きついて子どもは柱に拘束される。 「とどめっ!」  少女が叫ぶと大男が槍を構えて突撃する。そして小規模な爆発を思わせる勢いで子どもごとコンクリートの柱を粉砕した。土埃が舞い、砕けた柱以外は何も残されていなかった。  少女がふぅ、と息を整え服についた埃をはらう。  建瑠はというと柱が爆発した時の衝撃で尻餅をついていて、腰が抜けて立ち上がる事が出来なかった。  少女は建瑠に歩み寄るとにこりと笑って優雅に手を差し伸べた。  これがKHM001(カーハーエムアインス)と金子建瑠の出会いだった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!