第1章

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 あの頃は鬱積した思いが鋭い棘となり全身を覆い尽くしていた。こちらが優しく包み込むのを頑なに拒んでいた。無理に抱き寄せると怪我をする。だが、今は何処にも棘は見当たらない。取り除くことは出来ずとも見事に覆い隠している。 「まさか、わざわざ私を訪ね、旅をして来たのですか」 「はい。そのまさかです。ですが途中で厄介事に巻き込まれてしまいまして。行き掛かり上、江戸、もしかするとその先まで行くことになるかもしれません」  と聞いた柳生兵庫助は怪訝そうに「……江戸の先まで?」と呟き、 「差し支えなければ、詳しい話を聞かせてくれませんか」と云った。  それからおよそ一刻後……。  太陽は天守閣の後ろへ隠れ、町へ大きな影を広げ始めた。夢無源之丞は師の柳生兵庫助に見送られ屋敷を後にした。                三  源之丞が柳生兵庫助の屋敷を訪れている頃……。 「氏姫さま、ようお越しくださいました」 「義直様、ご尊顔を拝し奉り恭悦至極に御座いまする」  氏姫は深々と頭を下げる。 「氏姫さま、そのような堅苦しい挨拶はやめてください」  義直が困った顔をした。  徳川義直……慶長五年(一六〇〇年)徳川家康の九男として大坂城西の丸で産まれた。慶長十九年(一六一四年)大坂冬の陣で初陣を飾り、翌年大坂夏の陣では後詰として天王寺、岡山の戦いを経験している。剣術も相当なもので、柳生兵庫助より柳生新陰流剣術を学び、のちに流儀を継承して新陰流第四世宗家となった程の腕前である。  宮宿へ着いた氏姫一行は美濃路を北上し名古屋城下へと向った。宮宿で、殿様は国許に滞在していると聞いた氏姫は、このまま挨拶せず通り過ぎるのは失礼と、仙太郎を使者に佐吉と海玄を供につけ義直に面会を求めた。だが、徳川御三家筆頭である。子供の使者などに聞く耳持たず追い返されるのではないかと懸念していたが、喜連川藩という名と仙太郎の堂々とした態度が功を奏し、義直と氏姫の面会が実現した。  ここは、名古屋城本丸御殿の一室。書院造の部屋は狩野派の絵師が腕を振るい絢爛豪華を誇っている。 「こうして氏姫さまにお会いするのは何年振りでしょうか」 「最後に会ったのは義直様が春姫さまを正室に迎えた年、江戸城でお祝いを申し上げた記憶が御座います」 「おー、そうでありました。桜の満開の季節。真心のこもった祝辞とお祝いを頂きました」
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