第1章

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 懐かしげに眼を細める義直の傍らには、家老の竹腰正信(たけこしまさのぶ)が控えている。  丁度その頃……。  胡蝶は海玄、為右衛門と共に名古屋城下を散策していた。城を右手に眺め、伝馬町を西へ歩いている。仙太郎と佐吉は氏姫の供として。金八銀八は駕籠を担ぎ城へ行っている。源之丞は行き先も告げず、ぶらりと宿を出たままだ。 「つまんないねえ」  胡蝶は呟きながら後ろを振り返り「近頃はみんな歩くのが遅くなったねえ。どうしたんだい?」と首を傾げる。 「胡蝶はんが速くなったんと違いますか」  為右衛門はとぼける。 「そうかねえ、あたしは変わんないけど……」  派手な着物の所為で、恥ずかしくて一緒に歩けないとは云えない。何せ着物を選んだのは為右衛門なのだから尚更だ。それに、着ている本人が「またあたしを見て驚いているよ。美人がそんなに珍しいのかねえ」と勘違いも甚だしいから余計なにも云えくなる。海玄と為右衛門は、かれこれ一刻近く散策に付き合わされている。堪ったものではない。宿でごろりと横になり、転寝(うたたね)をしていた方がまだましだ。 「胡蝶はん、何や疲れてしまいましたがな。喉も渇いてきよりましたから、どこぞの店で休みまへんか」  為右衛門が声を掛けると、待ってましたと海玄も大きく頷いた。 「ほれ、この先に何やら食い物の店が見えるぞ」  海玄が目敏く見付けると、二人はあっと云う間に胡蝶を追い越してしまった。  縄暖簾を掻き分け薄暗い店へ入ると、中途半端な刻限だからなのか客は居ない。 「此処がよろしゅうおす」と為右衛門が表通りの見える明るい席へ腰をおろした。為右衛門の横へ海玄が座り、後から入ってきた胡蝶が二人の正面へ座った。三人はうどんと冷酒を注文した。  海玄が町の賑わいに眼を凝らし、呆れたように云った。 「しかし、名古屋の城下も大したものじゃのう。京、大阪に勝るとも劣らぬぞ」 「ほんまどすなあ。流石、御三家筆頭の城下町どす」 「これ程の町なら、さぞ大黒屋もびっくりするくらい大きいじゃろうのう」  そこへ店のおやじが冷酒を持って来たので、大黒屋の場所を訊いてみた。 「へい、そこから見えるでしょう……半町ほど先の、ほれ、黒い瓦が光っている。あれが大黒屋さんですよ」
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