囚われの魔女と聖職者

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 膝を抱えてぼんやりしていたミラは、こつりという靴音に目をやった。  久しぶりに見るシェスの姿だった。数時間ぶりか、数日ぶりか、薄闇の中で夢とうつつの間を彷徨うミラには、正確な時間がわからない。  けれど。 (血の、におい)  品のいい古風な香に混じって、微かに血臭が漂う。けれど、神官服は今日も真っ白で、滑らかな肌には傷一つない。  普段よりも優雅な足取りで近づいてくるシェスをじっと見つめ、ミラは手を伸ばして、シェスの髪に触れた。  ジャラ……と鎖が鳴った。 「ここ、切れてる」  三つ編みからこぼれた一房が、斜めに切れていた。  柔らかな毛先に触れたのはほんの一瞬だけ。引っ込めようとした手を、シェスがつかんだ。 「ミラ」  初めてミラの名前を呼んだ。  だが、言葉が見つからないように目を逸らす。つかまれた手をぼんやり見つめていると、シェスは低い声で尋ねた。 「自分を売った家族を憎んでいないの?」  虚ろな目をまばたいて、ミラは少しの間考え込んだ。 「憎く、ないわ」 「どうして?」  どうして。……どうしてだろう。  ミラは目を伏せて、少しの間考え込む。それから小声でそっと言った。 「魔女狩りは止まらない。私が捕らえられなかったら、家族の誰かが選ばれたはず。だから、仕方ないの。……悲しかったけれど」  最後に見た家族の顔は罪悪感に満ちて、ミラを見ようとしなかった。処刑される時も、誰も来てはくれなかった。  悲しいし、寂しかった。けれど、憎んではいない。心の大部分が欠け落ちた今では、よけいに。 「……綺麗事だ。自己犠牲なんて笑わせる」  怒ったような声に、ミラは視線を上げた。 「君はこの世を呪ったっておかしくない。周りの人間全てを憎むべきなんだ。……僕のことも。今更善人ぶって何になる?」  翡翠の目の中で昏い焔が揺れる。酷く苛立っているようだった。  それと同時に、痛そうな顔にも見えた。 「……憎まれたいの?」 「別に。ただ、……処刑される前に、君は笑っていたから」 「……見てたのね」  悪意に満ちた視線と罵声。拷問を受けた身体は軋むようで、一呼吸ごとに苦痛に苛まれる。  あの時、確かにミラは微笑んだ。狂気からではない。  永遠に続くように思えた絶望から、やっと解放されるという安堵と、それから。 「空が、とても綺麗だったから」
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