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公立病院は公共の福祉を重んじる。
だから、こういう場合は当院が引き受けることになるのは分かる。
民間が利益を優先するように、公立は福祉を優先するのだ。むしろ、公立病院はそのためにあると言っても過言ではない。
だから、私の肝が冷えたのは、金にかかわることではない。
「人が足りねえよな」
医師や看護師の数はもちろん、窓口をどうするかも考えなければならい。
「一時的に付属診療所に外科系の窓口を作ることも検討されているようです」
「ドクターの短期バイト、募集枠を増やす感じか。ドクターの求人ってエムフォーとかメディナビだっけ」
「応援医師と言って下さい」
「それ、別枠で予算回してもらえんのかな。応援医師増やせないと、常勤のドクターが過労で倒れるだろ」
「それは事務局長の手腕にかかっているでしょうね」
クロネコがピンと伸ばした尻尾を揺らした。分かってるよ。同じ事務局長でも「結城」じゃなくて「現役の」方な。
それにしても、これはなかなか厳しい状況になる。
下っ端とはいえ、私も他人事ではない。人事業務である以上、これは事務方の仕事だ。
「有難いことにうちはやめるドクターが少ないからベテランが揃ってるのが強みだよなあ。おかげで経験積みたいドクターが集まりやすい」
「そうですね。結城事務局長が土壌を作ってくださったおかげで、この病院は人材に恵まれています」
「管理職は人を管理するのではない、人が働きやすくなるよう環境を管理するのが仕事だっていう、結城事務局長の考えは好きだよ」
「人事アンケートのたびに面倒と言っていた気がしますが」
「集計とるのはマジ面倒」
360度評価の集計をさせられる方はたまったものではない。
何とかデジタル化して欲しいが、三桁に上る項目の一つ一つを手作業で集計し、一つ一つパソコンに入力するのはとてつもなく時間がかかるのだ。
だが、その価値は十分に過ぎる。
「でも、あれのおかげで医師も看護師も働きやすいっていうならやるしかねえだろ」
一般的に医師も看護師も離職率が高い。
医師は開業しなければ収入を大きく増やすことはできないし、看護師は収入以上に心身の負担が大きい。
より収入を増やしたい、より負担を軽くしたいと考えて離職するのは当然と言えば当然だ。
だが、それを当然としては質が下がる。
「うちの強みは離職率の低さだからな。腕のいいドクターが増えれば、その下で働きたい人が増えるし。俺、うちの病院、結構気に入ってる」
「三〇年の成果と言えるのではないでしょうか。結城事務局長の尽力――人を集め、体系を整える。当センターの基盤を作った結城事務局長の功績はけして小さくありません」
こうして話を聞いてみると、病院の歴史を描いた本なのに、結城事務局長の伝記のようになっている理由がよくわかる。
あの本は、結城事務局長の手腕をほめたたえることで、当時の汚職事件から目をそらさせる目的もあったのかもしれない。
もちろん、あれを直接書いた本人は、そんな汚職事件をごまかすためとは思っていなかったと思うが、書かせた行政側の意図は、私が想像した方が正解のような気がした。
そうでなければ、いくら優秀だからって事務方の人間がここまで持ち上げてもらえる理由が見つからない。
私は桐生さんのように純粋な人間じゃないから、こんな風にうがちすぎた見方をしてしまうのかもしれないが。
なあ、クロネコ。お前はさ、どう思うよ。
死んだ後まで都合よくつかわれてさ。結城事務局長って、それでいいって思ってんのかな。
「ところで友利さん。思い出していただけませんか。今日見かけた壁のひび割れを」
「ひび割れ?」
ひび割れと言われて思い浮かんだのは勇気事務局長の幽霊を見た、北階段の壁だった。
壁の上に塗られた塗料がひび割れていた。
「ああ、あの北階段の壁のやつだろ?」
「……北階段の、かべ?」
「え、違うの?」
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