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「怒っています。しかし友利さんに怒っているわけではありません」
「桐生さん……」
「わたしが怒っているのは――結城事務局長、貴方にです」
桐生さんの声が地を這うように響いた。
踊り場に結城事務局長が立っている。
「カエルの折り紙なら、わたし達にもどうにかできる。折り紙を集めて、犬飼さんの遺族に届けるなり、墓前に備えるなりします。ですが、これは不可能です。建物をどうにかしろと? あるいは患者を? 千名の患者をそう簡単に移動できるわけがない。それに友利さんはこんな怪我まで負った。結城事務局長! 県内に医者が足りないことくらい、貴方が一番よく知っているはずです! 何故、わたしたちなんですか! 何故、もっと地位の高い方に頼らなかったんですか!」
一気にまくし立てた桐生さんは強く手を握りしめた。ギリっと奥歯を噛み締めている音が聞こえる。
ひやりと冷たいものが足元をかすめた気がした。
クロネコが階段を駆け下りていく。
そして、結城事務局の足元に体をこすりつけるようにして甘えている。
「クロネコ……結城事務局長……」
結城事務局長はクロネコを抱き上げ、やさしく頭を撫でていた。
私は桐生さんの横顔をみた。まだ気持ちの高ぶりが落ち着かないのか、唇をきつく引いていた。
正義感の強い桐生さんのことだ。自分の無力さが許せないに違いない。
今はどうにか保たれている病棟も、高校の事故を思えば、いつ崩れてもおかしくない。
自分にできることは何か。桐生さんはずっと、最善を尽くそうと考え、調べたんだろう。あの、誰もいなくなった部屋で。
不安が募ったに違いない。
迅速に対応しなければならないのに、当直時間の今、対応できる人間がいない。つきさっきまで私もいなかった。頭の傷が開いたのだから、そのまま入院して戻らない可能性もあった。
ごめん。
尊敬している結城事務局長に怒り出すくらい、煮詰まってたんだろう。
心の中で詫びつつ、私は結城事務局長を見た。
結城事務局長は優秀な人物だったと聞く。本当に結城事務局長の幽霊なら、
この行動にも何か理由があるはずだ。
私の前にはクロネコが、桐生さんの前には結城事務局長本人が現れた。
クロネコを抱き上げて撫でている結城事務局長は、桐生さんに睨まれているというのに、表情は穏やかだ。
ああ、そうか。
「桐生さん」
庶務課にいると、クレームの電話対応をすることが多い。
文句を言っている間は、頭に血が上って他人の言葉を受け入れられない人がほとんどだ。
何故なら、視野が狭くなって一つの考えにとらわれるから。
他にも選択肢があるのに、別の選択肢の方がいいのに、それに目を向けられなくなっている。
怒ったら、ダメだ。
焦っても、ダメだ。
まずは最良の状態を考える。
次に、それに向けて自分にできることは何かを考える。私にできることは限られているけれど、手段は皆無じゃない。
今すぐできることだって、ある。
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