ひび割れそうになる日常

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「桐生さん、絹井先生のところに行こう」   「絹井先生は救命センターの長です。この件に関しては全く……」 「だよな。でもさ、この病院の中で、唯一、三〇年前のことを知っている人だ」 「……」 「絹井先生は今年定年退職で、三〇年前は研修医だ」  当時の責任者はもういない。  だが、残っている人がいないわけではない。  桐生さんがハッとした顔で私をみた。 「絹井先生は開いちゃった俺の傷を診てくれてたからさ。まだいると思うんだよ」  ちらりと結城事務局長をみると、穏やかな笑みの中にそれまでとは違う、いたずらっ子のような気配があった。  おいおい、いい性格してやがんな。 「俺らから事務局長に連絡しても、緊急性が伝わらないと思うけど。絹井先生からなら違うと思う。この建物がダメになれば絹井先生の患者は即死だ。重症患者が逃げられるわけがない」 「……確かにそうですが。しかし、手順が違うのではありませんか。本来の手順は――」 「俺らの最終目標は、痛みや苦しみから人々を救うことだろ。それってさ、ちょっとばかり先回りしたって、いいんじゃね? ほら、最近はヨビョウ対策も重要っていうだろ」 「病気になる前の対策のことを言っているのでしたら、未病対策です」  良かった。いつもの桐生さんらしい容赦ないツッコミは健在らしい。
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