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鏡の中の自分に向かって、よし!と気合を入れる。
下宿先であるお寺のおかみさんにナチュラルな化粧をほどこして貰い、この日の為におかみさんと選んで買った千鳥柄の可愛いワンピースを身に付け、ゆるく後ろで編み込んだ三つ編みに小さな赤いリボンのバレッタを止めれば、姿見にはデートへ向かう、恋をする女の子がそこにハッキリと映っていた。
生まれて初めてこんなにお洒落をして、生まれて初めて、男の子と待ち合わせをして出掛ける。
清咲にとって、この日は確かに初めてのデートで特別な日でもあったが、何よりもっと重大なミッションが課せられている大事な日でもあった。
絶対に今日は、このチャンスを棒に振る訳にはいかない。
(やったるで。今日こそ、ハッキリと言うんや…!)
そう息巻きながら、ポシェットを肩に掛け、二階の自室から一階へ降りて玄関へ向かう。
すると、お寺のおかみさん、つまり、奏多のお母さんが、玄関前でソワソワと清咲を待ち構えていた。
「うん!最高に可愛いわ、清咲ちゃん!これでお兄ちゃんも、イチコロよ!」
清咲を見るなり、奏多の母、糸代はそう言って感激した。
彼女は四十代前半の、スラリとして背が高い、美人で妖艶な雰囲気を持つ女性だ。
だがそれは見た目だけであって、中身は無邪気で少し抜けた所のある、可愛らしい人だ。
この家に下宿に来てからというもの、彼女には非常に可愛がられて良くして貰っている。
娘が欲しかったという彼女は、いたく清咲を気に入ってくれ、そのおかげであるミッションを清咲にゴリ押しした人物の一人でもある。
清咲はガチガチに緊張したまま糸代に笑いかけると、靴を履いて玄関のドアに手をかけた。
「あの、じゃあ、頑張って来ます!」
「ええ、頑張って!でも、本当に大丈夫?緊張してない?」
「大丈夫です!全然余裕です!」
「そう、でも清咲ちゃん、履いてる靴がお爺ちゃんのサンダルだわ」
慌ててお爺ちゃんのサンダルを脱ぎ、エナメルのパンプスに履き替える。
もう一度仕切り直して、軍人ばりに強く敬礼した。
「大丈夫です!頑張ります!」
「頑張って!健闘を祈る!」
清咲は玄関を押し開けると、「行って来ます!」と闘志を燃やして外へ駆け出した。
(大丈夫、言える…!だって今日は、デートなんやから!向こうはたぶんそのつもりじゃないし、全然普通の買い物やと思ってるやろうけど、それでもいいんや…!)
勇気を出して、奏多に出掛けようと提案した時、彼はいつもの様に二つ返事でOKしてくれた。
こちらはデートのお誘いのつもりだったが、彼は近所のスーパーへ出掛けるくらいの認識だろう。
普段から糸代に頼まれてスーパーへ買い物に出掛けているし、休日にも付き合って貰う時があるので、それも無理はなかったように思う。
ただ、家から一緒に行くのではなく、待ち合わせしようと言った時は、流石に気付いてくれてもいいのに、とは思ったが。
(別に、買い物付き合ってくれる認識でもええんや。とにかく私がちゃんと言える雰囲気と場所が必要なだけやし)
清咲はひとりでによし!と気合を入れると、待ち合わせ場所である、駅前の時計塔の下へ急いだ。
待ち合わせ場所には、既に奏多の姿があった。
それもそうだ、彼は先に行っていると宣言して家を出ていたのだから。
奏多は、品の良いジャケットとカジュアルなテーパードパンツを合わせた出立ちだった。
素材がいいからだろう、彼にとって普段の服でもキチンとして見える。
清咲は羨ましいなと感じつつ、時計塔の下に立つ奏多に手を上げた。
「お、お待たせ…!」
声をかけると、奏多は顔を上げるなりハッとした顔をした。
そして、その綺麗な目でジッと清咲を見つめてきた。
「今日は雰囲気が違うな」
明らかに気合が入っている格好であるし、そもそもお出掛けにスカートを履いた事がない。
奏多が驚くのも無理はないかと思いながら、清咲は居心地悪くもじもじしながら言った。
「えっと、糸代さんが、可愛くしてくれて…。変かな?」
「ううん、可愛いよ。似合ってる」
平然とした顔でサラリと言われ、喜んでいいのか悪いのか、一瞬わからなくなる。
しかし、今後のメンタルの為に、素直に受け取っておく事にした。
「ありがとう」
「行こうか。今日は隣町に用事があるんだっけ?」
「う、うん!見たい映画があんねん。良ければ早松君にも付き合って欲しいんやけど…」
言いながら、自分に突っ込む。
(くそっ、このフランクな感じで、付き合って下さいって言えたらええのに…)
これから行わなければいけないミッション、つまりそれは、奏多との関係をハッキリとさせる事。
すなわち、好きだと告白する事だ。
これは、クラスメイトの立石晴香と逢坂未来、そして糸代にせっつかれたのがきっかけだ。
清咲は、今の仲良しなお友達関係で十分満足していたのだが、周りはそうではなかったのだ。
糸代には、早くお兄ちゃんと付き合ったらいいのに、誰かに取られちゃうわ、と毎日洗脳のように促され、立石晴香にはいい加減ハッキリしてくれなきゃ困る、横取りするぞと脅され、逢坂未来には、誰かに取られる前にさっさと自分の物にしろとけしかけられ、何やかんやと外野がとてもうるさかった。
始めこそ、のらりくらりと交わしていた清咲だったが、奏多にも親しく話す女子が出来た事で、やっと焦って腰を上げている次第である。
(もう一歩関係を踏み出さへんと…。みんなが言うように、他の誰かと、一緒になってしまう前に…)
清咲の目に、学校の廊下で見た奏多の姿が思い出される。
クラスメイトの女の子だろう、親しく話し、時折り、笑顔を見せていた。
あれだけ女子を寄せ付けなかった奏多が、自分以外にも心を開いている姿に。
言いようの無い焦りに襲われた。
(早松君と親しいのは自分やって、それは揺るがへんって、アホみたいな事思ってた。よく考えれば、あの世界の中の関係性も、告白も、全部リセットされてるのに…)
キヨヒメとの、騒がしくも楽しかった、あの世界での出来事は、今の自分の世界線ではリセットされていて。
奏多との関係があのまま続いていると、錯覚してはいけなかったのだ。
あの世界は全くの別物で、今の自分は、これから奏多との関係を作り出して行かなくてはいけない。
それは分かっているのに、自分が思い浮かべたリセットと言う言葉が、ズキリと心を疼かせた。
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