最終話 新しい未来へ

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◇ ◇ ◇ ガタッと車が大きく揺れ、それまで後部座席で眠りこけていた少女は、「んがっ!?」とみっともない呻き声を上げて目を覚ました。 口から垂れていた涎をこっそり拭いつつ、「ここどこ?」と車窓の外を眺める。 遠くには高い山々が連なり、道に沿って長い川が流れていた。 「あんた、ずっと寝とったんか。ほんまあんたは車に乗るとすぐに寝るなぁ。ドライブする価値ないわ」 助手席に座った母が、そう言ってたしなめた。 「うるさいなぁ、別に寝ててもええやん。同じような山の景色見るより、車に揺られて夢見てる方がマシや」 「夢見てたん?」 そう言ったのは、隣に座っている弟だった。 車内には暖房が付いているのに、マフラーを鼻の上までたくし上げ、コートを着込んでいる。 夏まで野球少年だった彼は、すっかり貧弱な少年に成り下がっていた。 「うん、変な夢見てたわ。オトンが転勤になって、家族みんなで東京に行く夢」 「え、東京とかめちゃめちゃええやん。ほんまに行きたいわ」 素直な感想を述べる弟に反して、車のハンドルを握る父親が呆れたように言った。 「お前な、夢の話とか、一番しらけるしどうでもええわ。オチがあっておもろかったら聞いたるけども」 「別に聞いていらんよ」 大きくため息を吐き、夢の話を打ち切る。 (知らん男の子とか、神様とか、狛犬とか、色んな人が出てくる、むちゃくちゃな夢を、最近よく見るんやよなぁ。まぁ、楽しいけど…) ぼんやりと思い出し、頬を緩める。 こんな話をすれば、それこそ父親にアホくさいと一蹴されるだろうと考えた。 「で、ここどこなん?もうすぐ着くん?」 その問いに、母親がまたも呆れてため息混じりに言った。 「中辺路(なかへち)や。そろそろ着くで」 川沿いを走っていた車は、カチカチと指示器を出して左に逸れた。 茅葺き屋根のお食事処が見え、母親が楽しそうに声を上げる。 「昼はあそこで食べよか」 茅葺き屋根の屋敷をぼんやりと見送った後、車はまた右に逸れ、山手の方に向かった。 S字カーブをグングンと登っていく。 「うわ、あかん、これめっちゃ酔ってくる。と言うより、こんな所に本間に寺なんかあるん?山奥すぎへん?」 喚き始める娘に、母親があっけらかんと言った。 「昔の人は、ここをずーっと歩いて行ったんやで。てかあんた、ここに来るの初めてやった?」 「そうやなぁ、何だかんだ、いつも初詣は美紀と晃介と道成寺行くし」 「なんで今年は行けへんの?」 「美紀に彼氏出来たんや。その人と一緒に行くらしいで」 反応したのは父親だった。 「え、あの美紀ちゃんに彼氏かいな。どんな物好きな男や。猛獣使いとかなら頷けるな」 父親が何故か嬉しそうにはしゃぐ。 ハハッと苦笑した。 「私もどんな猛獣使いなんやろうと思って写真見せて貰ったんやけど、菩薩みたいな顔した優しそうな人やったわ」 「ほーかほーか、優しそうな人でなによりやんか。今年からもう高校生やしな、彼氏の一人や二人おってもおかしないわな」 「うん。でもまぁ二人おったらおかしいな」 投げやりな気持ちで相槌を打ち、座席のシートに深々と背中を預けた。 何となく寂しくなり、ため息をつく。 (なんやろう、最近、やけに胸にポッカリ穴が空いたような気持ちになるんよなぁ。環境が変わり始めてるから、寂しいんやろうか。まぁ、そうやろうな) 適当に自己分析し、適当に納得する。 ふと気付けば、車は直線の登り坂を走っていた。 後部座からひょっこりと顔をだし、フロントガラスの向こうを覗き込む。 それまで道沿いには人家もなく、寂れた工場や崩れそうなトタン小屋が一棟あったくらいだったが、突然集落が現れていた。 真っ直ぐと通った道の先に、長い石段と赤い鳥居が見えてくる。 周囲の人家よりも高い位置に、そのお寺はあった。 「うわぁ、凄い人やなぁ」 道には多くの車が路上に駐車され、警備員が車両の誘導にせっせと動いていた。 長い石段には、多くの参拝客が往来している。 父親が走らせる車は、警備員の誘導の元、丁度空きがでた駐車場に停める事が出来た。 車から降りると、山奥だからだろうか、それとも温かい車中から出たばかりだからだろうか、冷たい外気が肌をビリリと刺した。 隣の弟が、早速顔をしかめて呻く。 「めちゃめちゃ寒いやんか。俺もう行きたないわ」 「あんた本間に寒いの苦手やな。歩いてたらその内温まるわ」 ぐずる弟をたしなめ、ぞろぞろと人々が向かっていく石段へと歩いて行く。 周囲には幾つか店があり、店外で甘酒や軽食などを売っていた。 そのどの店にも、緑色の瓶が並べられている。 石段の下で売られている緑色の瓶を見て、母親に尋ねた。 「なぁこれ、なんなん?」 指をさすと、母親は手慣れた様子で瓶を複数手に取り、売り子さんにお金を払った。 「これ、お酒とからし。このお寺にお供えすんねん」 まじまじと手に取って見てみると、手のひらサイズの瓶の蓋に、赤い唐辛子を入れた小袋がかけられていた。 「なんでお酒とからし?」 母親は石段を登りながら言った。 「大昔、偉い和尚さんがな、自分の好きなお酒と唐辛子をお供えしてくれたら、ひとつ願いを叶えますって言って亡くなりはってん。やからここは福巖寺って言うんやけど、一願寺って呼ばれてるんや」 「そうなんや。ひとつ願いが叶ったら、終わりなん?」 「ううん。願いが叶ったら、お礼参りするねん。そしたらまた、お願い出来るんや」 「なるほど…」 「ああ、後、安珍清姫物語って知ってるやろ」 何故だか、ドキッと心臓が跳ねる。 最近よく見る夢に、彼等が登場するからだった。 「う、うん…」 「ここはな、清姫生誕の真砂の地で、清姫一族も祀られてんねん。さっき茅葺き屋根のお食事処あったやろ、あの近くに清姫堂があんねん。気になるんやったら、後で行ってみるとええわ」 「うん…」 急に胸が切なくなり、上る石段がきつくなってくる。 ただでさえ、長くて急な石段だったので、上に登り着く頃には、かなり息が上がってしまっていた。 境内は、左手に手水舎があり、右手に祈祷の受け付けやお守りを売っている寺務所があった。 正面には福巖寺の仏前があり、鐘を鳴らして賽銭箱にお金を入れて手を合わせる。 そのまま左に進むと、短い石段があり、のぼれば一願地蔵尊が祀られている建物があった。 長く延びた建物の中には、線香の煙を浴びて身を清める香閣と、線香に火をつける大きな七輪、そして香炉が備えられていた。 その奥に、御本尊が祀られている。 天井を見上げると、美しい花鳥風月の絵があり、ふと視線を逸らすと、長い絵巻物が飾られているのに気が付いた。 「あれって…」 「ああ、清姫由緒絵巻やな。読んでみぃ」 言ったのは、父親だった。 壁の上に飾られた絵巻物を見上げ、目を凝らして読もうとしたが、難しくて読めるものではなかった。
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